・・・半年程留守を明けて、変った事物を見聞して来るうちには、ドリスを忘れるだろうと云うのである。勿論漫遊だって、身分相応にするので、見て廻らなくてはならない箇所が頗る多い。墺匈国で領事の置いてある所では、必ず面会しなくてはならない。見聞した事は詳・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 明治二十七八年日清戦争の最中に、予備役で召集されて名古屋の留守師団に勤めていた父をたずねて遊びに行ったとき、始めて紡績会社の工場というものの見学をして非常に驚いたものである。祖母が糸車で一生涯かかって紡ぎ得たであろうと思う糸の量が数え・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・ 雪江は鏡台に向かって顔を作っていたが、やがて派手な晴衣を引っぴろげたまま、隣の家へ留守を頼みに行ったりした。ちょうど女中が見つかったところだったが、まだ来ていなかった。「叔父さんのお蔭で、二人いっしょに遊びに出られますのえ。今日が・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・お妾はいつでもこの時分には銭湯に行った留守のこと、彼は一人燈火のない座敷の置炬燵に肱枕して、折々は隙漏る寒い川風に身顫いをするのである。珍々先生はこんな処にこうしていじけていずとも、便利な今の世の中にはもっと暖かな、もっと明い賑かな場所がい・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・その中にあなたの家を訪ねた時に思いきって這入ろうかイヤ這入るまいかと暫く躊躇した、なるべくならお留守であればよい、更に逢わぬといってくれれば可いと思ったというような露骨な事が書いてある。昔私らの書生の頃には、人を訪問していなければ可いがと思・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・それから、こんな事は云えた義理ではないんだが、僕の留守の者たちの事も気にかかる。若し、出来ればおふくろや子供の面倒を見てやって貰いたい。自重健闘を祈る。―― 吉田は、紙切れに鉛筆で走り書きをして、母に渡した。「これを依田君に渡し・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
・・・其飲食遊戯の時間は男子が内を外にするの時間にして、即ち醜体百戯、芸妓と共に歌舞伎をも見物し小歌浄瑠璃をも聴き、酔余或は花を弄ぶなど淫れに淫れながら、内の婦人は必ず女大学の範囲中に蟄伏して独り静に留守を守るならんと、敢て自から安心してます/\・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・主人は出て来ない。主人は留守であるのだ。どうしようか、と暫く躊躇した。頭のつかえそうな低き冠木門の右には若い柳が少し芽をふきかけて居る。左には無花果がまだ裸で居る。その向うには牛小屋があるらしい。 遂に決断して亀戸天神へ行く事にきめた。・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・「賄は別の方がいいさ、留守の時だってあるんだから」「さよです」「座敷代は、それじゃ源さんがいっていた通りですね」 一畳二円という事なのであった。「へえ、夏場ですととてもそれでは何でございますが、只今のこってすから……」・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・その弟子が窃み聴いてその咒を記えて、道士の留守を伺うて鬼を喚んだ。鬼は現われて水を灑き始めた。而るに弟子は召ぶを知って逐うを知らぬので、満屋皆水なるに至って周章措く所を知らなかったということがある。当時の新聞雑誌はこの弟子であった。予はこれ・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
出典:青空文庫