・・・ しかし、善ニョムさんは、リュウマチの痛みが少し薄らいだそれよりもよっぽど尻骨の痛みがつよくなると、我慢にも寝ていられなくなった。善ニョムさんは今朝まだ息子達が寝ているうちから思案していた。――明日息子達が川端田圃の方へ出かけるから、俺・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・ 秋山は陸面から八十尺の深さに掘り下げた、彼等自身の掘鑿を這い上りながら、腰に痛みを覚えた。が、その痛みは大して彼に気を揉ませはしなかった。何故ならば、それはいつでもある事だったから。 ダイの仕度は出来た。 二十三本の発破が、岩・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・また第二の方は、さまで面倒もなく損害もなき故、何となく子供の痛みを憐れみ、かつは泣声の喧しきを厭い、これを避けんがために過ちを柱に帰して暫くこれを慰むることならんといえども、父母のすることなすことは、善きも悪しきも皆一々子供の手本となり教え・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・ 冬になって来てから痛みが増すとか呼吸が苦しいとかで時々は死を感ずるために不愉快な時間を送ることもある。併し夏に比すると頭脳にしまりがあって精神がさわやかな時が多いので夏程に煩悶しないようになった。・・・ 正岡子規 「死後」
・・・そして俄かにあんまりの明るさと、あの兄妹のかあいそうなのとに、眼がチクチクッと痛み、涙がぼろぼろこぼれたのです。 私のまだまるで小さかったときのことです。 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
・・・ 二人の先生はおすそわけにあずかったうどんを風呂敷につつんで往来へ出たが、下級の先生のやりかたに向う感情はおのずから等しくて、そこには一種の公憤めいたものもあり、傷けられた友情の痛みもあるというわけであった。 下級の先生の良人が折か・・・ 宮本百合子 「「うどんくい」」
・・・二人の子供は創の痛みと心の恐れとに気を失いそうになるのを、ようよう堪え忍んで、どこをどう歩いたともなく、三の木戸の小家に帰る。臥所の上に倒れた二人は、しばらく死骸のように動かずにいたが、たちまち厨子王が「姉えさん、早くお地蔵様を」と叫んだ。・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・そして小刀で刺した心の臓の痛み出すのを感じた。 それからツァウォツキイは急いで帰った。どっちへ向いて歩いているか、自分には分からない。しかし一度死んだものは、死に向って帰って行くより外無いのである。 初め旅立をした大きい家に帰り着い・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・われ有るに非ざれど、この痛みどこより来るか。古人の悩んだこんな悩ましさも、十数年来まだ梶から取り去られていなかった。そして、戦争が敗北に終わろうと、勝利になろうと、同様に続いて変らぬ排中律の生みつづけていく難問たることに変りはない。「あ・・・ 横光利一 「微笑」
・・・そして自分の人格の惨めさに息の詰まるような痛みを感ずる。 しかしやがて理解の一歩深くなった喜びが痛みのなかから生まれて来る。私は希望に充ちた心持ちで、人生の前に――特に偉人の内生の前に――もっともっと謙遜でなくてはならないと思う。そして・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫