・・・墓碣と云い、紀念碑といい、賞牌と云い、綬賞と云いこれらが存在する限りは、空しき物質に、ありし世を偲ばしむるの具となるに過ぎない。われは去る、われを伝うるものは残ると思うは、去るわれを傷ましむる媒介物の残る意にて、われその者の残る意にあらざる・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 役者の佐々木孝丸さんは、ペルリ上陸記念碑のある横須賀の久里浜に住んでいるが、すこぶる釣り好きで、よく私を誘った。このごろはどちらも忙しくなって、いっしょに釣りをする機会もなくなってしまったが、久里浜にも二、三回、行ったことがある。東京・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・ すべてこれ人間の私情に生じたることにして天然の公道にあらずといえども、開闢以来今日に至るまで世界中の事相を観るに、各種の人民相分れて一群を成し、その一群中に言語文字を共にし、歴史口碑を共にし、婚姻相通じ、交際相親しみ、飲食衣服の物、す・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・圧す石上に詩を題すべく夏山や京尽し飛ぶ鷺一つ浅川の西し東す若葉かな麓なる我蕎麦存す野分かな蘭夕狐のくれし奇楠をん漁家寒し酒に頭の雪を焼く頭巾二つ一つは人に参らせん我も死して碑にほとりせん枯尾花 のごときは・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・と彫った青い橄欖岩の碑が建ちました。 昔のその学校の生徒、今はもう立派な検事になったり将校になったり海の向うに小さいながら農園を有ったりしている人たちから沢山の手紙やお金が学校に集まって来ました。 虔十のうちの人たちはほんとうによろ・・・ 宮沢賢治 「虔十公園林」
・・・それですから、北上川の岸からこの高原の方へ行く旅人は、高原に近づくに従って、だんだんあちこちに雷神の碑を見るようになります。その旅人と云っても、馬を扱う人の外は、薬屋か林務官、化石を探す学生、測量師など、ほんの僅かなものでした。 今年も・・・ 宮沢賢治 「種山ヶ原」
・・・が一つの記念碑的な作品であることに異議ない。七年間の労作に堪ゆる人間が、枯淡であろうとも思わないし、無計画であるとも思わない。同じ十月の『文芸』に中村光夫氏が短い藤村研究「藤村氏の文学」を書いていて、中に「氏は自己の精神の最も大切な部分を他・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・近づいてこの厚い覆いを見れば、これはそれなりに記念碑であり又墓でもあった。石の屋根の下にいら草の繁みをわけて三十本あまり銃剣が地上に突出されたままになっている。ここで隊列を敷いていたフランス兵たちが生きながら瞬間に爆弾の土砂に埋められた。・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・ ケーテには記念碑的な作品がないといわれている。ローザ・ボヌールにおける「馬市」のような作品がないという限りで、それは当っているのかもしれない。けれども、あらゆる世代が人間生活の進歩についてまじめに思いをめぐらしたとき、その一歩のために・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・島崎藤村は明治文学の記念碑的な作品「夜明け前」後篇を中央公論に連載しつつあった。永井荷風は往年の花柳小説を女給生活の描写にうつした「ひかげの花」をもって、谷崎潤一郎は「春琴抄」を、徳田秋声、上司小剣等の作家も久しぶりにそれぞれその人らしい作・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
出典:青空文庫