・・・上野ではしのばず池のあの泥くさりの水で粉ミルクをといて乳のみ児にのませた婦人さえありました。 火はとうとうよく二日一ぱいもえつづき、ところによっては三日にとび火で焼けはじめた部分もあります。官省、学校、病院、会社、銀行、大商店、寺院、劇・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・下の男の子には、粉ミルクをといてやっていたのですが、ミルクをとくにはお湯でないと具合がわるいので、それはどこか駅に途中下車した時、駅長にでもわけを話してお湯をもらって乳をこしらえるという事にして、汽車の中では、やわらかい蒸しパンを少しずつ与・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・ああちゃんをみていると、年中粉ミルクをかきまわしています。 十二月七日 十二月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より〕 十二月七日、夕刻電報拝見しました。ああ本当にこういうこともある、とすぐ駒込郵便局へペンさんに電話し・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・フイリッポフ貧しい中から子供に粉ミルクをかってのませた。「今ぐらいに暮して居れば、その子もらって育てたが、貧乏でしたから駄目だった」 ○二階借り居る家は建築業、下にいつも婆と小さい娘六つ位のこまっちゃくれ「分りましたか、分りまし・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・台所のことは男に分らないといったのは昔のことで、この頃の一般家庭の良人や父親は幼児の粉ミルクのために、一束の干うどんのために、まったく実際上の骨折をしているのだし、物価の問題、炭のこと、家庭欄が社会欄となって来ているといってもあたっている有・・・ 宮本百合子 「私の感想」
出典:青空文庫