・・・ギンはこの人をもらったときに約束したことを、すっかり忘れていました。 女は間もなく馬に乗って、二人で向うの家へいきました。 それからまたいく年もたってから、二人は或とき、今度は或家の名つけの祝いによばれていきました。人々はそれぞれ席・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
・・・今になって思って見ればね、お前さんはあの約束をおしの人を亭主に持った方が好かったかも知れないと思うわ。そら。あの時そういったのは、わたしが初めよ。勘忍してお遣りとそう云ったわ。あの事をまだ覚えていて。あの時お前さんがわたしの・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・あたらしく力を得て、とにかくこれを完成させぬうちは、東京へ帰るまい、と御坂の木枯つよい日に、勝手にひとりで約束した。 ばかな約束をしたものである。九月、十月、十一月、御坂の寒気堪えがたくなった。あのころは、心細い夜がつづいた。どうしよう・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・と云って独りで勝手に約束をきめてしまった。 約束の時刻に尋ねて行った。入口で古風な呼鈴の紐を引くと、ひとりで戸があいた。狭い階段をいくつも上っていちばん高い所にB君の質素な家庭があった。二間だけの住居らしい。食堂兼応接間のようなところへ・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・ 雪江との約束を果たすべく、私は一日須磨明石の方へ遊びにいった。もちろんこの辺の名所にはすべて厭な臭味がついているようで、それ以上見たいとは思わなかったし、妻や子供たちの病後も気にかかっていたので、帰りが急がれてはいたが……。 ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・ 私は小学校へ行くほどの年齢になっても、伝通院の縁日で、からくりの画看板に見る皿屋敷のお菊殺し、乳母が読んで居る四谷怪談の絵草紙なぞに、古井戸ばかりか、丁度其の傍にある朽ちかけた柳の老木が、深い自然の約束となって、夢にまで私をおびえさせた事・・・ 永井荷風 「狐」
・・・とく等しいものを円と云うというような定義はあれで差支ない、定義の便宜があって弊害のない結構なものですが、これは実世間に存在する円いものを説明すると云わんよりむしろ理想的に頭の中にある円というものをかく約束上とりきめたまでであるから古往今来変・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・もう愚痴は溢さない約束でしたッけね。ほほほほほほ」と、淋しく笑ッた。「花魁、花魁」と、お熊がまたしても室外から声をかける。「今じきに行くよ」と、吉里も今度は優しく言う。お熊は何も言わないであちらへ行ッた。「ちょいと行ッて来ちゃア・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・例えば女の天性妊娠するの約束なるが故に妊娠中は斯く/\の摂生す可しと、特に女子に限りて教訓するが如きは至極尤に聞ゆれども、男女共に犯す可らざる不徳を書並べ、男女共に守る可き徳義を示して、女ばかりを責るとは可笑しからずや。犬の人にかみつきて却・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ある雑誌へ歌を送らねばならぬ約束があるので、それからまだ一時間ほど起きて居て歌の原稿を作った。 翌日も熱があったがくたびれ紛れに寝てしもうた。 そのまた翌日即ち五月一日には熱が四十度に上った。〔『ホトトギス』第三巻第十号 明治3・・・ 正岡子規 「車上の春光」
出典:青空文庫