・・・もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに階の前へ、倒れ伏していたのです。 杜子春は必死になって、鉄冠子の言葉を思い出しながら、緊く眼をつぶっていました。するとその時彼の耳には、殆声とはいえない位、かすかな声が伝わって・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・集って脇明から入って来る風のさむいのもかまわず日のあんまり早く暮れてしまうのをおしんで居ると熊野を参詣した僧が山々の□(所を越えてようやくようよう麓のここまで下って来てこの一群の子供達のそばに来て息も絶え絶えの様な声をして「人の住んで居る所・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・間であるが、車掌にどなりつけられ、足を踏みつけられ、背中を押され、蛆虫のようにひしめき合い、自分が何某という独立の人格を持った人間であることを忘れるくらいの目に会って、死に物ぐるいで奈良に到着し、息も絶え絶えになって御物を拝見してまわり、あ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・という一種の技巧論を信じているから、例えば映画でも、息も絶え絶えの状態にしては余りに声も大きく、言葉も明瞭に、断末魔の科白をいやという程喋ったあげく、大写しの中で死んで行く主演俳優の死の姿よりも、大部屋連中が扮した、まるで大根でも斬るように・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・知行も絶え絶えで、如何に高貴の身分家柄でも生活さえ困難であった。織田信長より前は、禁庭御所得はどの位であったと思う。或記によればおよそ三千石ほどだったというのである。如何に簡素清冷に御暮しになったとて、三千石ではどうなるものでもない。まして・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・兵士、輸卒の群れが一生懸命に奔走しているさまが薄暮のかすかな光に絶え絶えに見える。一人の下士が貨車の荷物の上に高く立って、しきりにその指揮をしていた。 日が暮れても戦争は止まぬ。鞍山站の馬鞍のような山が暗くなって、その向こうから砲声が断・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・それからまもなくある日縁側で倒れて気息の絶え絶えになっているのを発見して水やまたたびを飲ませたら一時は回復した。しかしそれから二三日とたたないある朝、庭の青草の上に長く冷たくなっているのを子供が見つけて来て報告した。その日自分は感冒で発熱し・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・やっと、やっと、絶え絶えの声を保って来ているのである。 そして、なお興味のあることは、おや、すこし活溌に女性も本を出しているな、とその年を考えてみると、それは何かの意味で日本の社会全体に一種の積極な新文化への翹望のあった年々である。たと・・・ 宮本百合子 「女性の書く本」
・・・一条細い道が跫跡にかためられて、その間を、彼方の山麓まで絶え絶えについている。ざらざらした白っぽい巌の破片に混って硫黄が道傍で凝固していた。烈しい力で地層を掻きむしられたように、平らな部分、土や草のあるところなど目の届く限り見えず、来た方を・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
出典:青空文庫