・・・遠いところから段と歩み近づいて行くと段と人顔が分って来るように、朦朧たる船頭の顔は段と分って来た。膝ッ節も肘もムキ出しになっている絆纏みたようなものを着て、極小さな笠を冠って、やや仰いでいる様子は何ともいえない無邪気なもので、寒山か拾得の叔・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・神田川の方に船宿があって、日取り即ち約束の日には船頭が本所側の方に舟を持って来ているから、其処からその舟に乗って、そうして釣に出て行く。帰る時も舟から直に本所側に上って、自分の屋敷へ行く、まことに都合好くなっておりました。そして潮の好い時に・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・勇敢な高橋事務員は、その中へ決然一人でとびこんで、ようやく、向うの岸にひなんしていた船にたどりつき、船頭たちに、患者をはこんでくれるようにと、こんこんとたのみましたが、船頭はいやがって、がんとしておうじてくれません。すると幸い、だれも人のい・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・やがて二人で大立廻りをやって、女房は髪を乱して向いの船頭の家へ逃げこむやら、とうと面倒なことになったが、とにかく船頭が仲裁して、お前たちも、元を尋ねると踊りの晩に袖を引き合いからの夫妻じゃないか。さあ、仲直りに二人で踊れよおい、と五合ばかり・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・構えのうちにある小屋でも稲叢でも、皆川を過ぎて行く船頭の処から見えました。此、金持らしい有様の中で、仕事がすむとそおっと川の汀に出かけ、其処に座る、一人の小さい娘のいるのに、気が附いた者があったでしょうか? 私は知りません。けれども、此処で・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・プウシュキンもとより論を待たず、芭蕉、トルストイ、ジッド、みんなすぐれたジャアナリスト、釣舟の中に在っては、われのみ簑を着して船頭ならびに爾余の者とは自らかたち分明の心得わすれぬ八十歳ちかき青年、××翁の救われぬ臭癖見たか、けれども、あれで・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・裏の入江の船の船頭が禿頭を夕日にてかてかと光らせながら子供の一群に向かってどなっている。その子供の群れの中にかれもいた。 過去の面影と現在の苦痛不安とが、はっきりと区画を立てておりながら、しかもそれがすれすれにすりよった。銃が重い、背嚢・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・堀河にもやっている色々の船も、渋くはなやかに汚れた帆も、船頭のだぶだぶした服も、みんなロイスデエルやホベマ時代のヴェルニイがかっていた。 測候所で案内してくれた助手のB君は剽軽で元気のいい男であった。「この晴雨計の使い方を知っているかね・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・韋駄天を叱する勢いよく松が端に馳け付くれば旅立つ人見送る人人足船頭ののゝしる声々。車の音。端艇涯をはなるれば水棹のしずく屋根板にはら/\と音する。舷のすれあう音ようやく止んで船は中流に出でたり。水害の名残棒堤にしるく砂利に埋るゝ蘆もあわれな・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・此方の揚ったのは、忰の骨揚げのすんだ翌日でしたっけがね、私も詳しいことも知らねえが、△△中の船頭を一週間買いあげて、捜したそうです。これは×××大将の方からも、入費が出たそうで……その骨揚の日には、私も寄ばれましたっけが、忰の筺の品を二品ほ・・・ 徳田秋声 「躯」
出典:青空文庫