・・・「茶入れやお茶碗なんか、家にはずいぶんよいものもあったけれど、下の戸袋のなかへしまいこんでおいたものは、いつの間にかお客がみんな持っていってしもうて……」お絹はそんな話をしながら、「軸ものも何やら知らんけれど、いいものだそうだ。たぶ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・残りのものは一升樽を茶碗飲みにして、準備の出来るのを待って居る騒ぎ。兎や角と暇取って、いよいよ穴の口元をえぶし出したのは、もう午近くなった頃である。私は一同に加って狐退治の現状を目撃したいと云ったけれど、厳しく母上に止められて、母上と乳母の・・・ 永井荷風 「狐」
「珍らしいね、久しく来なかったじゃないか」と津田君が出過ぎた洋灯の穂を細めながら尋ねた。 津田君がこう云った時、余ははち切れて膝頭の出そうなズボンの上で、相馬焼の茶碗の糸底を三本指でぐるぐる廻しながら考えた。なるほど珍ら・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・ 彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであった酒をぐっと一息に呻った。「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打ち壊して見てえなあ」と怒鳴った。「へべれけになって暴れられて堪るもんですか、子供たちをどうしま・・・ 葉山嘉樹 「セメント樽の中の手紙」
・・・ネギの白味、豚の白味、茶碗の欠片、白墨など。細い板の上にそれらのどれかをくくりつけ、先の方に三本ほど、内側にまくれたカギバリをとりつける。そして、オモリをつけて沈めておくと、タコはその白いものに向かって近づいて来る。食べに来るわけではなく、・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・と、持ッて来た茶碗小皿などを茶棚へしまいかけた。「なにもう寝なくッても――こんなに明るくなッちゃア寝てもいられまい。何しろ寒くッて、これじゃアたまらないや。お熊どん、私の着物を出してもらおうじゃないか」「まアいいじゃアありませんか。・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・蕪村かつて大高源吾より伝わる高麗の茶碗というをもらいたるを、それも咸陽宮の釘隠しの類なりとて人にやりしことあり。またある時松島にて重さ十斤ばかりの埋木の板をもらいて、辛うじて白石の駅に持ち出でしが、長途の労れ堪うべくもあらずと、旅舎に置きて・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 婆さんが出てから振返って見ると、朱塗りの丸盆の上に椀と飯茶碗と香物がのせられ、箱火鉢の傍の畳に直に置いてあった。陽子は立って行って盆を木箱の上にのせた。上り端の四畳の彼方に三畳の小間がある。そこが夫婦の寝起きの場所で夕飯が始まったらし・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・飲んでしまうと、茶碗の底に滓が沢山淀んでいる。木村は茶を飲んでしまうと、相変らずゆっくり構えて、絶間なくこつこつと為事をする。低い方の山の書類の処理は、折々帳簿を出して照らし合せて見ることがあるばかりで、ぐんぐんはかが行く。三件も四件も烟草・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ 茶の間へ行くと、灸の茶碗に盛られた御飯の上からはもう湯気が昇っていた。青い野菜は露の中に浮んでいた。灸は自分の小さい箸をとった。が、二階の女の子のことを思い出すと彼は箸を置いて口を母親の方へ差し出した。「何によ。」と母は訊いて灸の・・・ 横光利一 「赤い着物」
出典:青空文庫