ふじわらのたかのぶ【藤原隆信】
[1142〜1205]平安末期・鎌倉初期の宮廷画家・歌人。法名、戒心。定家の異父兄。似絵 (にせえ) の先駆者で、神護寺所蔵の源頼朝像・平重盛像の作者と伝えられる。家集「隆信朝臣集」。
ふじわらのたかよし【藤原隆能】
平安後期の宮廷画家。鳥羽金剛心院の扉絵や鳥羽上皇の肖像、蒔絵 (まきえ) の下図など幅広く活躍。「源氏物語絵巻」の作者と伝えられる。生没年未詳。
ふじわらのただざね【藤原忠実】
[1079〜1162]平安後期の公卿。摂政・関白。二男の頼長を推して長男忠通と対立、保元の乱の一因ともなった。頼長の敗死後、知足院に籠居。日記「殿暦 (でんりゃく) 」がある。
ふじわらのただひら【藤原忠平】
[880〜949]平安中期の公卿。基経の子。諡号 (しごう) 、貞信公。兄時平の死後、摂政、のちに太政大臣・関白となる。時平の遺業「延喜格式」を完成。日記「貞信公記」がある。
ふじわらのただふみ【藤原忠文】
[873〜947]平安中期の公卿。民部卿。平将門の乱では征東大将軍、藤原純友の乱では征西大将軍に任ぜられたが、その功に恩賞が与えられなかったのは藤原実頼の反対のためと恨み、死後も実頼の子女に祟 (たた) ったといわれ、悪霊民部卿の異名がある。
ふじわらのただみち【藤原忠通】
[1097〜1164]平安後期の公卿。忠実の長男。別称、法性寺殿 (ほっしょじどの) 。摂政・関白。美福門院と結んで父および弟頼長と対立し、保元の乱の原因となった。書にすぐれて、法性寺流の開祖。漢詩集「法性寺関白集」、家集「田多民治 (ただみち) 集」、日記「法性寺関白記」など。
ふじわらのたねつぐ【藤原種継】
[737〜785]奈良後期の公卿。宇合 (うまかい) の孫。桓武天皇の信任厚く長岡京造宮使となったが、皇太子早良親王と不和になり、造宮の視察中に暗殺された。
ふじわらのためいえ【藤原為家】
[1198〜1275]鎌倉前・中期の歌人。定家の長男。別称、中院禅師など。法名、融覚。父の歌風を継ぎ、御子左家 (みこひだりけ) を確立。阿仏尼はその後妻。「続後撰集」「続古今集」を撰進。歌論書「詠歌一体」、家集「為家集」など。
ふじわらのためうじ【藤原為氏】
[1222〜1286]鎌倉中期の歌人。為家の長男。為世の父。二条家の祖。「続拾遺集」を撰進。
ふじわらのためかね【藤原為兼】
⇒京極為兼 (きょうごくためかね)