ふじわらのためさだ【藤原為定】
[1293〜1360]鎌倉後期・南北朝時代の歌人。二条家の嫡流で、養父為藤のあとを継ぎ、「続後拾遺集」を完成。のち「新千載集」を撰進。二条為定。
ふじわらのためすけ【藤原為相】
⇒冷泉為相 (れいぜいためすけ)
ふじわらのためなり【藤原為業】
平安末期の歌人。出家して寂念 (じゃくねん) と号し、兄弟の為経(寂超)・頼業(寂然)とともに大原に隠れ住み、大原三寂と称された。歌は「千載集」などにみえる。生没年未詳。
ふじわらのためのり【藤原為教】
[1227〜1279]鎌倉中期の歌人。為家の次男。為兼の父。京極派の祖。歌は「続拾遺集」などにみえる。
ふじわらのためよ【藤原為世】
[1251〜1338]鎌倉後期の歌人。為氏の子。法名、明釈。二条家の嫡流で伝統的立場を守り、進歩的な京極為兼と対立。「新後撰集」「続千載集」を撰進。歌論書「和歌庭訓抄」など。二条為世。
ふじわらのていか【藤原定家】
[1162〜1241]鎌倉初期の歌人。名は「さだいえ」とも。俊成の子。父のあとを継いで有心 (うしん) 体の象徴的歌風を確立し、歌壇の指導者として活躍。「新古今和歌集」の撰者の一人。のち「新勅撰和歌集」を撰し、「源氏物語」などの古典の校訂・研究者としてもすぐれた業績を残した。家集「拾遺愚草」、歌論書「近代秀歌」「毎月抄」「詠歌大概」、日記「明月記」など。
ふじわらのていし【藤原定子】
[976〜1001]一条天皇の皇后。道隆の娘。正暦元年(990)入内して女御、のち中宮。長保2年(1000)藤原彰子が中宮に立ったため皇后となり一代二后の例を開いた。
ふじわらのときひら【藤原時平】
[871〜909]平安前期の公卿。基経の子。菅原道真を大宰権帥 (だざいのごんのそち) に左遷して藤原氏の地位を確保。最初の荘園整理令を発し、班田収授の法を施行して、律令制の維持に努力。「三代実録」「延喜式」の編集に参画。
ふじわらのとしなり【藤原俊成】
⇒ふじわらのしゅんぜい
ふじわらのながて【藤原永手】
[714〜771]奈良時代の公卿。房前 (ふささき) の子。称徳天皇が没すると、藤原百川 (ももかわ) らとはかって光仁天皇を擁立し、道鏡を追放した。