・・・「私の主人の御嬢さんが、去年の春行方知れずになった。それを一つ見て貰いたいんだが、――」 日本人は一句一句、力を入れて言うのです。「私の主人は香港の日本領事だ。御嬢さんの名は妙子さんとおっしゃる。私は遠藤という書生だが――どうだ・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ 松山に渡った一行は、毎日編笠を深くして、敵の行方を探して歩いた。しかし兵衛も用心が厳しいと見えて、容易に在処を露さなかった。一度左近が兵衛らしい梵論子の姿に目をつけて、いろいろ探りを入れて見たが、結局何の由縁もない他人だと云う事が明か・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・お蓮はこの老人の前に、彼女には去年行方知れずになった親戚のものが一人ある、その行方を占って頂きたいと云った。 すると老人は座敷の隅から、早速二人のまん中へ、紫檀の小机を持ち出した。そうしてその机の上へ、恭しそうに青磁の香炉や金襴の袋を並・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・しかしながら行けども行けども他の道に出遇いかねる淋しさや、己れの道のいずれであるべきかを定めあぐむ悲しさが、おいおいと増してきて、軌道の発見せられていない彗星の行方のような己れの行路に慟哭する迷いの深みに落ちていくのである。四・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・ママ、ごよごよは出たり引いたり、ぐれたり、飲んだり、八方流転の、そして、その頃はまた落込みようが深くって、しばらく行方が知れなかった。ほども遠い、……奥沢の九品仏へ、廓の講中がおまいりをしたのが、あの辺の露店の、ぼろ市で、着たのはくたびれた・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・代診を養子に取立ててあったのが、成上りのその肥満女と、家蔵を売って行方知れず、……下男下女、薬局の輩まで。勝手に掴み取りの、梟に枯葉で散り散りばらばら。……薬臭い寂しい邸は、冬の日売家の札が貼られた。寂とした暮方、……空地の水溜を町の用心水・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・てしま茣蓙、脚絆穿、草鞋でさっさっと遣って来た、足の高い大男が通りすがりに、じろりと見て、いきなり価をつけて、ずばりと買って、濡らしちゃならぬと腰づけに、きりりと、上帯を結び添えて、雨の中をすたすたと行方知れずよ。……「分ったか、お婆々・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・と長刀の鞘をはずして広庭までおって居らっしゃったけれ共前からぬけ道を作って置いて行方知れずになってしまった。色々体をとりなおしとりなおしなさったけれ共何分重傷なもんで「あの小吟を討ち取れ討ち取れ」と二声三声ようやく開いた目よりも細くおっしゃ・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・そして、三人のものがいまだに行方不明であることを思い出したのであります。「よく帰ってきた。もうみんなは死んだものと思っていた。おまえたちは、幸福の島にでも救われていたのか?」と、群集の中から、一人がいいました。「幸福の島?」と、その・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・ この騒ぎに、あほう鳥の行方が、わからなくなりました。男はどんなにか、そのことを悲しんだでしょう。彼は、焼け跡に立って、終日、あほう鳥の帰ってくるのを待っていました。しかし、とうとう、鳥は帰ってきませんでした。煙に巻かれて、焼け死んだも・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
出典:青空文庫