・・・寒月の放胆無礙な画風は先人椿岳の衣鉢を承けたので、寒月の画を鑑賞するものは更に椿岳に遡るべきである。 椿岳の画の豪放洒脱にして伝統の画法を無視した偶像破壊は明治の初期の沈滞萎靡した画界の珍とする処だが、更にこの畸才を産んだ時代に遡って椿・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ たゞ然し、最も妥当なる順序は、われ/\の現在生息しつゝある現代の文学書に親しみ、次第に過去時代の産物に遡ることを以て、効果多い方法と信ずる。たとえばルソーの『懺悔録』あたりから、近代精神の何ものであるかを知って、更にわれ/\の時代に近・・・ 小川未明 「文章を作る人々の根本用意」
・・・これらは皆、事の近因として、さらにこの近因を生じたる根本の大原因に溯るに非ざれば、事の得失を断ずるに足らざるを信ずるものなり。けだしその原因とは何ぞや。我が開国に次で政府の革命、すなわちこれなり。 開国以来、我が日本人は西洋諸国の学を勉・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・話は少し以前に遡るが、私は帝国主義の感化を受けたと同時に、儒教の感化をも余程蒙った。だから一方に於ては、孔子の実践躬行という思想がなかなか深く頭に入っている。……いわばまあ、上っ面の浮かれに過ぎないのだけれど、兎に角上っ面で熱心になっていた・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・あんまり溯る。もう帰ろう。校長もあの路の岐れ目で待っている。〔ほう。戻れ。ほう。〕向うの崖は明るいし声はよく出ない。聞えないようだ。市野川やぐんぐんのぼって行く。〔ほう、〕「戻れど。お。」「戻れ。」向いた向いた。一人向けばもういい。・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・ その時、こっち岸の河原は尽きてしまって、もっと川を溯るには、どうしてもまた水を渉らなければならないようになりました。 そして水に足を入れたとき、私たちは思わずばあっと棒立ちになってしまいました。向うの楊の木から、まるでまるで百疋ば・・・ 宮沢賢治 「鳥をとるやなぎ」
・・・ 話はヨーロッパ大戦当時にまで遡る。当時そこへ新たにドックをこしらえて儲けた某という人物があった。大戦終局とともに持ちきれなくなって、O・Tに売ることになり、O・Tから某の友人であった二人が専務として入った。その一人は技術家である。某は・・・ 宮本百合子 「くちなし」
・・・ 源泉は遠い遠い彼方迄遡る、深い真実な人間生活、圏境の裡から湧き出している、それ故、まるで過去の歴史と、開国以来の国民的性格の異った私共が、軽々しくそれ等を批判することは出来ません。その真によい処も悪いところも、傍から考えるよりはもっと・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・しかし万治から溯ると、二条行幸までに三十年余立っている。行幸前に役人になって長崎へ往った興津であるから、その長崎行が二十代の事だとしても死ぬる時は六十歳位にはなっている筈である。こんな作に考証も事々しいが、他日の遺忘のためにただこれだけの事・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫