・・・しかれども予の邂逅したる日本の一詩人のごときは死後の名声を軽蔑しいたり。 問 君はその詩人の姓名を知れりや? 答 予は不幸にも忘れたり。ただ彼の好んで作れる十七字詩の一章を記憶するのみ。 問 その詩は如何? 答「古池や蛙飛び・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・は、平戸から九州の本土へ渡る船の中で、フランシス・ザヴィエルと邂逅した。その時、ザヴィエルは、「シメオン伊留満一人を御伴に召され」ていたが、そのシメオンの口から、当時の容子が信徒の間へ伝えられ、それがまた次第に諸方へひろまって、ついには何十・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・小林城三となって後、金千両を水戸様へ献上して葵の時服を拝領してからの或時、この御紋服を着て馬上で町内へ乗込むと偶然町名主に邂逅した。その頃はマダ葵の御紋の御威光が素晴らしい時だったから、町名主は御紋服を見ると周章てて土下座をして恭やしく敬礼・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 賀古翁は鴎外とは竹馬の友で、葬儀の時に委員長となった特別の間柄だから格別だが、なるほど十二時を打ってからノソノソやって来られたのに数回邂逅った。 こんな塩梅で、その頃鴎外の処へ出掛けたのは大抵九時から十時、帰るのは早くて一時、随分・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 数年前物故した細川風谷の親父の統計院幹事の細川広世が死んだ時、九段の坂上で偶然その葬列に邂逅わした。その頃はマダ合乗俥というものがあったが、沼南は夫人と共に一つ俥に同乗して葬列に加わっていた。一体合乗俥というはその頃の川柳や都々逸の無・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・信乃が滸我へ発足する前晩浜路が忍んで来る一節や、荒芽山の音音の隠れ家に道節と荘介が邂逅する一条や、返璧の里に雛衣が去られた夫を怨ずる一章は一言一句を剰さず暗記した。が、それほど深く愛誦反覆したのも明治二十一、二年頃を最後としてそれから以後は・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ 当時の欧化熱の中心地は永田町で、このあたりは右も左も洋風の家屋や庭園を連接し、瀟洒な洋装をした貴婦人の二人や三人に必ず邂逅ったもんだ。ダアクの操り人形然と妙な内鰐の足どりでシャナリシャナリと蓮歩を運ぶものもあったが、中には今よりもハイ・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・数枝に、無理矢理、劇場から引っぱり出され、そうして数枝の悪意ない、ちょっとした巫山戯た思いつきが、高須をここへ連れこんだ、この薄暗いバアは、乙彦と、さちよが、奇態な邂逅したところ、いま自分の腰かけているこの灰色のソファは、乙彦が追いつめられ・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ 私は今宵の邂逅を出来るだけロオマンチックに煽るように努めた。 路は狭く暗く、おまけにぬかるみなどもあって、私たちは二人ならんで歩く事が出来なくなった。女が先になって、私は二重まわしのポケットに両手をつっ込んでその後に続き、「も・・・ 太宰治 「メリイクリスマス」
・・・この間も蓋平で第六師団の大尉になっていばっている奴に邂逅した。 軍隊生活の束縛ほど残酷なものはないと突然思った。と、今日は不思議にも平生の様に反抗とか犠牲とかいう念は起こらずに、恐怖の念が盛んに燃えた。出発の時、この身は国に捧げ君に捧げ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
出典:青空文庫