・・・ 歩いて須磨へ行く途中、男がざるに石竹を入れて往来を来るのに出遇った。見たことのないような、小さな、淡紅い可愛らしい花が咲いていた。また、活動写真にある背景はこのあたりを写したのであろうと思われるような松並木のある街道を通った。 私・・・ 小川未明 「舞子より須磨へ」
・・・北方の大阪から神戸兵庫を経て、須磨の海岸あたりにまで延長していっている阪神の市民に、温和で健やかな空気と、青々した山や海の眺めと、新鮮な食料とで、彼らの休息と慰安を与える新しい住宅地の一つであった。 桂三郎は、私の兄の養子であったが、三・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・虚子と共に須磨に居た朝の事などを話しながら外を眺めて居ると、たまに露でも落ちたかと思うように、糸瓜の葉が一枚だけひらひらと動く。その度に秋の涼しさは膚に浸み込むように思うて何ともいえぬよい心持であった。何だか苦痛極って暫く病気を感じないよう・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・○御所柿を食いし事 明治廿八年神戸の病院を出て須磨や故郷とぶらついた末に、東京へ帰ろうとして大坂まで来たのは十月の末であったと思う。その時は腰の病のおこり始めた時で少し歩くのに困難を感じたが、奈良へ遊ぼうと思うて、病を推して出掛けて行た・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・大とこの糞ひりおはす枯野かないばりせし蒲団干したり須磨の里糞一つ鼠のこぼす衾かな杜若べたりと鳶のたれてける 蕪村はこれら糞尿のごとき材料を取ると同時にまた上流社会のやさしく美しき様をも巧みに詠み出でたり。・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・日が窪から来る原田夫婦や、未亡人の実弟桜井須磨右衛門は、いつもそれを慰めようとして骨を折った。 然るにここに親戚一同がひどく頼みに思っている男が一人いる。この男は本国姫路にいるので、こう云う席には列することが出来なかったが、訃音に接する・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫