・・・あわてて口を押え、「食塩水……」をくれと情ない声を出すと、はいと飲まされたのは、ジンソーダだ。あっとしかめた私の顔を、マダムはニイッと見ていたが、やがてチャックをすっと胸までおろすと、私の手を無理矢理その中へ押し込もうとした。円い感触に・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 西は入り江の口、水狭くして深く、陸迫りて高く、ここを港にいかりをおろす船は数こそ少ないが形は大きく大概は西洋形の帆前船で、その積み荷はこの浜でできる食塩、そのほか土地の者で朝鮮貿易に従事する者の持ち船も少なからず、内海を行き来する和船・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・ 前夜から洗っておいて、水加減を多くし、トロ火でやわらかくそしてふきこぼれないようにたいてみた。 小豆飯にたいてみた。 食塩をいれていく分味をつけてみた。 寒天をいれて、ねばりをつけた。 片栗をいれてねばりをつけた。・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・「僕は、食塩の山を思い出すのだが。」これも、あまり風流とは、言えない。「蛙の卵よりは、いいのね。」妹が意見を述べる。「あたしは、真白い半紙を思い出す。だって、桜には、においがちっとも無いのだもの。」 においが有るか無いか、立ちど・・・ 太宰治 「春昼」
・・・麦飯の粥に少しばかりの食塩、よくあれでも飢餓を凌いだ。かれは病院の背後の便所を思い出してゾッとした。急造の穴の掘りようが浅いので、臭気が鼻と眼とをはげしく撲つ。蠅がワンと飛ぶ。石灰の灰色に汚れたのが胸をむかむかさせる。 あれよりは……あ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・それは去年と同じころ、またオリザに病気ができかかったのを、ブドリが木の灰と食塩を使って食いとめたのでした。そして八月のなかばになると、オリザの株はみんなそろって穂を出し、その穂の一枝ごとに小さな白い花が咲き、花はだんだん水いろの籾にかわって・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・そのうち鉱物では水と食塩とだけである。残りは植物と動物とが約半々を占める。ところが茲にごく偏狭な陰気な考の人間の一群があって、動物は可哀そうだからたべてはならんといい、世界中にこれを強いようとする。これがビジテリアンである。この主張は、実に・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・味は食塩と味の素と胡椒でつけて一番終いにほんの一滴二滴醤油を落します。白菜がすっかりやわらかくなった時白タキを入れても美味しゅうございます。是はスープもたっぷり一緒に呑める分量にしてはじめから水を入れておきます。家のお料理は疲れている時には・・・ 宮本百合子 「十八番料理集」
・・・ことを主張し、たとえば「愚人食塩喩。塩で味をつけたうまい料理をよそで御馳走になった愚人がうちへ帰って塩ばかりなめてみたらまずかった」というような前書で、それを形象化しようとしたコントを書き、そういうものをいくつか一篇として並べているのである・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・カンフルと食塩とリンゲルが交代に彼女の体内に火を点けた。しかし、もう、彼女は昨日の彼女のようにはならなかった。ただ最後に酸素吸入器だけが、彼女の枕元で、ぶくぶく泡を立てながら必死の活動をし始めた。 彼は妻の上へ蔽い冠さるようにして、吸入・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫