・・・と書いて友達に、家へは、キニイネの丸薬とその処方を送って呉れる様に云ってやる。私はすっかり冬籠りの仕度をするためにその他、毛足袋だの何だのも云ってやった。女中は炬燵の中で、松の枝に下った「つらら」に砂糖をつけてカリリ、カリリとたべて・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・一リットル二十三哥ぐらいで、赤坊の体に必要な処方で調製された牛乳が貰えるのだ。「クララ・ツェトキンの名による産院」には、こういう設備で百五十人分の寝台がある。「われわれのところはなかなか繁昌ですよ。一日に十五人から十八人ぐらい産婦さ・・・ 宮本百合子 「モスクワ日記から」
・・・ ―――――――――――― あくる日に国分寺からは諸方へ人が出た。石浦に往ったものは、安寿の入水のことを聞いて来た。南の方へ往ったものは、三郎の率いた討手が田辺まで往って引き返したことを聞いて来た。 中二日おいて・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・本国でシベリアへ流された外に、諸方で獄に繋がれたことがある。無政府党事件としては一番大きい Jura の時計職人の騒動も、この人が煽動したのだ。瑞西にいるうちに、Bern で心臓病になって死んだ。それからクロポトキンだが、あれは Smole・・・ 森鴎外 「食堂」
・・・『朝倉敏景十七箇条』は、「入道一箇半身にて不思議に国をとりしより以来、昼夜目をつながず工夫致し、ある時は諸方の名人をあつめ、そのかたるを耳にはさみ、今かくの如くに候」といっているごとく、彼の体験より出たものであるが、その中で最も目につくのは・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫