・・・窓硝子の破れた自習室には生憎誰も居合せなかった。僕は薄暗い電燈の下に独逸文法を復習した。しかしどうも失恋した彼に、――たとい失恋したにもせよ、とにかく叔父さんの娘のある彼に羨望を感じてならなかった。 五 彼はか・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・ かくいい放って誘惑を一蹴した。時宗が嘆じて「ああ日蓮は真に大丈夫である。自ら仏使と称するも宜なる哉」とついに文永十一年五月宗門弘通許可状を下し、日蓮をもって、「後代にも有り難き高僧、何の宗か之に比せん。日本国中に宗弘して妨げあるべから・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・当時の仏教は倶舎、律、真言、法相、三論、華厳、浄土、禅等と、八宗、九宗に分裂して各々自宗を最勝でありと自賛して、互いに相排擠していた。新しく、とらわれずに真理を求めようとする年少の求道者日蓮にとってはそのいずれをとって宗とすべきか途方に暮れ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 併し自修ばかりでは一人合点で済まして居て大間違いをして居る事があるものですから、そこで輪講という事が行われる。それは毎日輪講の書が変って一週間目にまた旧の書を輪講するというようになって居るのです。即ち月曜日には孟子、火曜日には詩経、水・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・して見ればこの人の薨去は文永四年で北条時宗執権の頃であるから、その時分「げほう」と称する者があって、げほうといえば直に世人がどういうものだと解することが出来るほど一般に知られていたのである。内典外典というが如く、げほうは外法で、外道というが・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・正常の教程課目として教わったことで後年直接そのままに役に立ったことは比較的わずかで教程以外に直接先生方から受けた実例教育の外には自分の勝手で自修したことだけが骨身に沁みて生涯の指導原理になっているような気がする。しかし、これは思い違いである・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・鮭の耳石の環状構造にしても、一年の間に存するたくさんの第二次週期の意味がわかりにくい。それはそれとしても、ともかくも気象変化の週期性に反応し、あるいは共鳴するだけの週期性が内在するのでなければこういう現象は起こらないのではないかと考えられる・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
・・・ 人数に比べて部屋の数が多過ぎるので、寄宿舎は階上を自習室にあて、階下を寝室にあててあった。どちらも二十畳ほど敷ける木造西洋風に造ってあって、二人では、少々淋しすぎた。が、深谷も安岡も、それを口に出して訴えるのには血気盛んに過ぎた。・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ターニャはその時、おかっぱを活溌にふりながら、自習時間がやかましいことや、自治に対してみんなが無責任だ。いたずらに外套をかくしたり本をかくしたりする者もある。我々はそんな子供なのか? というようなことを話したのだ。ターニャも学生委員の一人な・・・ 宮本百合子 「ワーニカとターニャ」
出典:青空文庫