・・・そうかと言って邦楽の大部分や俗曲の類は子供らにあまり親しませたくなし、落語などというのは隣でやっているのを聞くだけでも私は頭が痛くなるようであった。それで結局私のレコード箱にはヴィクターの譜が大部分を占めるようになった。 妙なもので、初・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・ 一般絵画に対する漫画の位置は、文学に対する落語、俳句に対する川柳のそれと似たところがないでもない。本質の上からはおそらく同じようなものであり得ると思われる。ただ落語や川柳には低級なあるいは卑猥な分子が多いように思われており、また実際そ・・・ 寺田寅彦 「漫画と科学」
・・・ これと同じような聯想作用に関係しているためかと思われるのは、例えば落語とか浪花節とかを宅のラジオで聞くと、それがなんとなくはなはだ不自然な、あるまじきものに聞こえて困ることである。それらの演芸の声だけでなくて演芸者自身がその声にくっつ・・・ 寺田寅彦 「ラジオ雑感」
・・・わたしは朝寝坊夢楽という落語家の弟子となり夢之助と名乗って前座をつとめ、毎月師匠の持席の変るごとに、引幕を萌黄の大風呂敷に包んで背負って歩いた。明治三十一、二年の頃のことなので、まだ電車はなかった。 当時のわたしを知っているものは井上唖・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・大正文学の遺老を捨てる山は何処にあるか……イヤこんな事を言っていると、わたくしは宛然両君がいうところの「生活の落伍者」また「敗残の東京人」である。さればいかなる場合にも、わたくしは、有島、芥川の二氏の如く決然自殺をするような熱情家ではあるま・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・全体にソワソワと八笑人か七変人のより合いの宅みたよに、一日芝居の仮声をつかうやつもあれば、素人落語もやるというありさまだ。僕は一番上の兄に監督せられていた。 一番上の兄だって道楽者の素質は十分もっていた。僕かね、僕だってうんとあるのさ、・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・ 私が落語家から聞いた話の中にこんな諷刺的のがあります。――昔しあるお大名が二人目黒辺へ鷹狩に行って、所々方々を馳け廻った末、大変空腹になったが、あいにく弁当の用意もなし、家来とも離れ離れになって口腹を充たす糧を受ける事ができず、仕方な・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・当時の選科生というものは惨じめなものであった、私は何だか人生の落伍者となったように感じた。学校を卒えてからすぐ田舎の中学校に行った。それから暫く山口の高等学校にいたが、遂に四高の独語教師となって十年の歳月を過した。金沢にいた十年間は私の心身・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・また些細の事なれども手近く一例を示さんに、『時事新報』紙上に折々英語を記して訳文を添えたる西洋の落語また滑稽談の如きものは読者の知る所ならん。この文は西洋の新聞紙等より抜きたるものにして、必ずしもその記事の醜美を撰ぶにあらざれば、時々法外千・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・というのも面白い。唱歌の先生は世帯持ちでないというばかりでなくその乾物屋の娘の担任ではないのだからというのも、理由の一つであったのだろう。 日本には「うどん屋」という落語がある。 仕事の下手なものを云う表現に「うどんくい」というのが・・・ 宮本百合子 「「うどんくい」」
出典:青空文庫