きたばたけあきいえ【北畠顕家】
[1318〜1338]南北朝時代の公卿・武将。親房の長男。陸奥守 (むつのかみ) として義良 (のりなが) 親王を奉じ、奥羽に下向したが、足利尊氏の反乱により西上、尊氏を九州に追った。のち任地に帰ったが、再度上洛の尊氏と戦い、和泉で戦死。
きたばたけあきのぶ【北畠顕信】
[?〜1380]南北朝時代の武将。親房の次男。春日少将と称する。兄顕家の死後、鎮守府将軍となり、父親房と奥羽に転戦。父の帰還後も奥州で戦ったが勝利できず、吉野に帰った。
きたばたけあきよし【北畠顕能】
[?〜1383]南北朝時代の武将。親房の三男。伊勢国守となり、伊勢南軍の総帥。
きたばたけじゅごう【北畠准后】
北畠親房の異称。三后に准じる待遇で、後村上天皇が親房に与えたもの。
きたばたけじんじゃ【北畠神社】
三重県津市にある神社。祭神は北畠顕能・北畠親房・北畠顕家。
きたばたけちかふさ【北畠親房】
[1293〜1354]南北朝時代の公卿・武将。後醍醐天皇の皇子世良 (ときなが) 親王の養育にあたったが、その死によって出家。宗玄、のち、覚空と号した。建武の中興により、再び出仕。顕家とともに義良 (のりなが) 親王を奉じて東国下向を企て、常陸 (ひたち) に上陸。結城親朝らを誘致しようとしたが成功せず、のち吉野に帰った。以後、南朝方の政治・軍事の中心人物として活躍。学識深く、著書に「神皇正統記 (じんのうしょうとうき) 」「職原鈔 (しょくげんしょう) 」など。北畠准后。
きたばたけとものり【北畠具教】
[1528〜1576]戦国時代の武将。伊勢国司。織田信長に居城大河内城を攻められ敗北。信長の次男信雄 (のぶかつ) を自身の子である具房の養嗣子として家督を譲るが、のち、信長らに謀られて自刃。
きたばたけみつまさ【北畠満雅】
[?〜1428]室町時代の武将。伊勢国司。南北朝合一後、大覚寺統に皇位が譲られないことを両統迭立の約束に反したとして、後亀山天皇の孫の小倉宮を奉じて挙兵するが、幕府軍に敗れて戦死。
きたばたけやほ【北畠八穂】
[1903〜1982]小説家・児童文学者。青森の生まれ。本名、美代。作家深田久弥と結婚したが、のち離婚。方言を駆使した郷土色豊かな作品を描く。「鬼を飼うゴロ」で野間児童文芸賞受賞。他に「十二歳の半年」、小説「もう一つの光を」など。