・・・然し、私には、如何にも強そうなその体格と、肩を怒らして大声に話す漢語交りの物云いとで、立派な大人のように思われた。「先生、何の御用で御座います。」「怪しからん、庭に狐が居る、乃公が弓を引いた響に、崖の熊笹の中から驚いて飛出した。あの・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ それでは子供が背に負われて大人といっしょに歩くような真似をやめて、じみちに発展の順序を尽して進む事はどうしてもできまいかという相談が出るかも知れない。そういう御相談が出れば私も無い事もないと御答をする。が西洋で百年かかってようやく今日・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・そしてこの子供の疑問は、大人になった今日でも、長く私の解きがたい謎になってる。 次に語る一つの話も、こうした私の謎に対して、或る解答を暗示する鍵になってる。読者にしてもし、私の不思議な物語からして、事物と現象の背後に隠れているところの、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・お前は一人前の大人だ。な、おまけに高利で貸した血の出るような金で、食い肥った立派な人だ。こんな赤ん坊を引裂こうが、ひねりつぶそうが、叩き殺そうが、そんなこたあ、お前には造作なくできるこった。お前には権力ってものがあるんだ。搾取機関と補助機関・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・無智の人民を集めて盛大なる政府を立つるは、子供に着するに大人の衣服をもってするが如し。手足寛にしてかえって不自由、自から裾を踏みて倒るることあらん。あるいは身幅の適したるものにても、田舎の百姓に手織木綿の綿入れを脱がしめ、これに代るに羽二重・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ふとをりにふれてよみつづけける吹風の目にこそ見えぬ神々は此天地にかむづまります独楽たのしみは戎夷よろこぶ世の中に皇国忘れぬ人を見るときたのしみは鈴屋大人の後に生れその御諭をうくる思ふ時・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・その年の秋、穀物がとにかくみのり、新らしい畑がふえ、小屋が三つになったとき、みんなはあまり嬉しくて大人までがはね歩きました。ところが、土の堅く凍った朝でした。九人のこどもらのなかの、小さな四人がどうしたのか夜の間に見えなくなっていたのです。・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・これまでは、ソヴェト同盟でも、青年少年の男女労働者のとる賃銀は大人より幾分低かった。日本やアメリカなどの若い労働者のように、半額などということはないが、それでもいくらかやすかったのを、今度は、六時間労働でも、大人なみ八時間労働とまったく同じ・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・「それは大人になったからだ。男と云うものは、奥さんのように口から出任せに物を言ってはいけないのだ。」「まあ。」奥さんは目をみはった。四十代が半分過ぎているのに、まだぱっちりした、可哀らしい目をしている女である。「おこってはいけな・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ どうでも良いことばかり雲集している世の中で、これだけはと思う一点を、射し動かして進行している鋭い頭脳の前で、大人たちの営営とした間抜けた無駄骨折りが、山のように梶には見えた。「いっぺん工場を見に来てください。御案内しますから。面白・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫