出典:青空文庫
・・・雪国の冬だけれども、天気は好し、小春日和だから、コオトも着ないで、着衣のお召で包むも惜しい、色の清く白いのが、片手に、お京――その母の墓へ手向ける、小菊の黄菊と白菊と、あれは侘しくて、こちこちと寂しいが、土地がら、今時はお定りの俗に称うる坊・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ 上等の小春日和で、今日も汗ばむほどだったが、今度は外套を脱いで、杖の尖には引っ掛けなかった。行ると、案山子を抜いて来たと叱られようから。 婦は、道端の藪を覗き松の根を潜った、竜胆の、茎の細いのを摘んで持った。これは袂にも懐にも入ら・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・その日、産声が室に響くようなからりと晴れた小春日和だったが、翌日からしとしとと雨が降り続いた。六畳の部屋いっぱいにお襁褓を万国旗のように吊るした。 お君はしげしげと豹一のところへやってきた。火鉢の上でお襁褓を乾かしながら、二十歳で父とな・・・ 織田作之助 「雨」
・・・この時はちょうど午後一時ごろで冬ながら南方温暖の地方ゆえ、小春日和の日中のようで、うらうらと照る日影は人の心も筋も融けそうに生あたたかに、山にも枯れ草雑りの青葉少なからず日の光に映してそよ吹く風にきらめき、海の波穏やかな色は雲なき大空の色と・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・ 小春日和の日曜とて、青山の通りは人出多く、大空は澄み渡り、風は砂を立てぬほどに吹き、人々行楽に忙がしい時、不幸の男よ、自分は夢地を辿る心地で外を歩いた。自分は今もこの時を思いだすと、東京なる都会を悪む心を起さずにはいられないのである。・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・然し大庭真蔵は慣れたもので、長靴を穿いて厚い外套を着て平気で通勤していたが、最初の日曜日は空青々と晴れ、日が煌々と輝やいて、そよ吹く風もなく、小春日和が又立返ったようなので、真蔵とお清は留守居番、老母と細君は礼ちゃんとお徳を連て下町に買物に・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・麦播きがすむと、彼等はこんどは、枯野を歩いて寺や庵をめぐり、小春日和の一日をそれで過すのをたのしみとしているのだ。 私はいま、子供たちと一緒にお正月が来るのを待っている。お正月も過ぎてしまえば、たのしみとして待ったほどのことはなく、あま・・・ 黒島伝治 「四季とその折々」
・・・熱海の小春日和は明るい昼の夢のようであった。 一たび家を失ってより、さすらい行く先々の風景は、胸裏に深く思出の種を蒔かずにはいなかった。その地を去る時、いつもわたくしは「きぬぎぬの別れ」に似た悲しみを覚えた。もう一度必ず来て見たいと期待・・・ 永井荷風 「草紅葉」
白いところに黒い大きい字でヴェルダンと書いたステーションへ降りた。あたりは実に森閑としていて、晩い秋のおだやかな小春日和のぬくもりが四辺の沈黙と白いステーションの建物とをつつんでいる。 ステーション前のホテルのなかも物・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・十一月二十日 十一月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より〕 十一月二十二日 今日の日曜は珍らしく穏やかな秋の小春日和です。昨夜も夕方、月ののぼる頃は東空の眺めがなかなか趣きありました。二日続きであしたも休みだから・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」