・・・ビール罎の花も芋の切れ端も散乱して熊さんの蒲団は濡れしおたれている。熊さんはと見廻したが何処へ行ったか姿も見えぬ。 惻然として浜辺へと堤を下りた。砂畑の芋の蔓は掻き乱したように荒らされて、名残の嵐に白い葉裏を逆立てている。沖はまだ暗い。・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・そういう時に、口からはなした朝日の吸口を緑色羅紗の卓布に近づけて口から流れ出る真白い煙をしばらくたらしていると、煙が丸く拡がりはするが羅紗にへばり付いたようになって散乱しない。その「煙のビスケット」が生物のように緩やかに揺曳していると思うと・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・しかし、幸いなことには墜落現場における機体の破片の散乱した位置が詳しく忠実に記録されていて、その上にまたそれら破片の現品がたんねんに当時のままの姿で収集され、そのまま手つかずに保存されていたので、Y教授はそれを全部取り寄せてまずそのばらばら・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・その度ごとに采配が切断されてその白い紙片が吹雪のように散乱する。音頭取が一つ拍子を狂わせるとたちまち怪我人が出来るそうである。 映画の立廻りの代りにこの「花取り」を入れて一層象徴化されたる剣の舞を見せたらどうかと思うのである。その方がま・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・折々の散歩から家に帰った後唯机辺に散乱している二、三の雑著を見て足れりとしている。これら座右の乱帙中に風俗画報社の明治三十一年に刊行した『新撰東京名所図会』なるものがあるが、この書はその考証の洽博にして記事もまた忠実なること、能く古今にわた・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・アツレキ三十一年七月一日夜、表、アフリカ、コンゴオの林中の空地に於て故なくして擅に出現、舞踏中の土地人を恐怖散乱せしめたる件。」「よろしい、わかった。」とネネムは云いました。「姓名年齢その通りに相違ないか。」「へい。その通りです・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・時が経てば帰還後の生活の荒い波で、せっかくあざやかだった記憶が散乱してしまっては残念です。まず手はじめに、シベリヤ生活のなかであなたが経験された「創作コンクール」はどんな風にして行われ、当選作品はどんな風にしてみんなに発表され、よまれ、批評・・・ 宮本百合子 「結論をいそがないで」
・・・枕元に、脱脂綿でこしらえた膿とりの棒が散乱し、元看護卒だった若者が二人、改った顔つきで坐っている。 今野は唸っている。唸りながら時々充血して痛そうな眼玉をドロリと動かしては、上眼をつかい、何かさがすようにしている。自分は、廊下の外から枕・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・この、壊れた鏡のような文章は、散乱して、震えて曲って局部が神経的に誇大された断片をうつしている。ギラギラとわれ目が光っていても、それはどんなにひどく、補填しがたく鏡が粉砕してしまったかを語っているに過ぎない。このことは、落付いた精神をもって・・・ 宮本百合子 「こわれた鏡」
・・・ 元の八畳へ戻ると、急に茶器が散乱しているのばかり目立った。「あーあ、すっかりおそくなっちゃった!」 さも迷惑らしくお清は片づけものをよせ集めながら欠伸混りで呟いた。が、みのえはそれが本ものでないのを知り、母親を侮蔑した。 ・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
出典:青空文庫