・・・ 方便な事には、杢若は切凧の一件で、山に実家を持って以来、いまだかつて火食をしない。多くは果物を餌とする。松葉を噛めば、椎なんぞ葉までも頬張る。瓜の皮、西瓜の種も差支えぬ。桃、栗、柿、大得意で、烏や鳶は、むしゃむしゃと裂いて鱠だし、蝸牛・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・るにあるのであろう、今は種々な問題に対して、口の先筆の先の研究は盛に行われつつあるが、実行如何と顧ると殆ど空である、今日の上流社会に茶の湯の真趣味を教ゆるが如きは、彼等の腐敗を防除するには最もよき方便であろうと思うに、例の実行そっちのけ・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・『其面影』や『平凡』は苦辛したといっても二葉亭としては米銭の方便であって真剣でなかった。褒められても貶されても余り深く関心しなかったろうし、自ら任ずるほどの作とも思っていなかった。 正直にいったら『浮雲』も『其面影』も『平凡』も皆未完成・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・ また、これに反して、たとえば、お母さん達が、子供を訓戒するための方便として、空涙を出されても、或は、いかに上手に芝居をなされても、ついに子供の眼を、心をあざむくことはできなかったにちがいない。たとえ、一時はあざむくことがあったにしても・・・ 小川未明 「読んできかせる場合」
・・・ 既成の諸宗の誤謬は仏陀の方便の権教を、真実教と間違えたところにある。仏陀の真実教は法華経のほかには無い。仏陀出世の本懐は法華経を説くにあった。「無量義経」によれば、「四十余ニハ未だ真実ヲ顕ハサズ」とある。この仏陀の金言を無視するは許さ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・一種の方便経に過ぎない。 まだ一つある。私はむしろ情負けをする性質である。先方の事情にすぐ安値な同情を寄せて、気の毒だ、かわいそうだと思う。それが動機で普通道徳の道を歩んでいる場合も多い。そしてこれが本当の道徳だとも思った。しかしだんだ・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・でわかった事ですが、沢田先生は、小学校で生徒の受験勉強の事から、問題を起し、やめさせられ、それから、くらしが思うように行かず、昔の教え子の家を歴訪しては無理矢理、家庭教師みたいな形になりすまし、生活の方便にしていらっしゃったというような具合・・・ 太宰治 「千代女」
・・・び申候えども、悲しい哉、わが性鈍にしてその真趣を究る能わず、しかのみならず、わが一挙手一投足はなはだ粗野にして見苦しく、われも実父も共に呆れ、孫左衛門殿逝去の後は、われその道を好むと雖も指南を乞うべき方便を知らず、なおまた身辺に世俗の雑用よ・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・科学の理論に用いらるる方便仮説が現実と精密に一致しなくてもさしつかえがないならば、いわゆる絵そら事も少しも虚偽ではない。分子の集団から成る物体を連続体と考えてこれに微分方程式を応用するのが不思議でなければ、色の斑点を羅列して物象を表わす事も・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・の代わりに、個々の記者のいわゆる常識による類型化の主観的方便によるよりほかに一つもたよりになるような根拠がないからいささか心細いと言わなければならない次第である。 セザンヌがりんごを描くのに決して一つ一つのりんごの偶然の表象を描こうとは・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
出典:青空文庫