姓氏の一。
あけちひでみつ【明智秀満】
[1537〜1582]安土桃山時代の武将。明智光秀の女婿とも従弟ともいわれる。別名、左馬助 (さまのすけ) 光春。光秀の先陣として本能寺を攻めたが、のち安土で敗れ、坂本城に逃れて自害。
あけちみつひで【明智光秀】
[1528ころ〜1582]安土桃山時代の武将。織田信長に仕え、近江 (おうみ) 坂本城主。天正10年(1582)京都の本能寺に主君信長を襲って自害させたが、まもなく山崎で羽柴秀吉に敗れ、敗走の途中で農民に殺された。→本能寺の変 (へん) 鷲尾雨工による歴史小説。昭和13年(1938)刊。
あけちこごろう【明智小五郎】
江戸川乱歩の推理小説に登場する私立探偵の名。変装を得意とし、黒蜥蜴 (くろとかげ) や怪人二十面相らと対決する。
出典:gooニュース
明智光秀が「寺に米寄進」と伝えた書状の原本、45年ぶりにゆかりの大津の寺で再発見
和紙に「仏供料として78石9斗2合の米を寄進する」との内容で、1577年(天正5年)9月27日の日付で「明智光秀」の署名と花押があり、少なくとも花押は直筆という。折りたたまれた状態で、先々代住職の山中忍海大僧正の筆跡で「明智光秀寄進状」と書かれていた包み紙にくるまれていた。
所在不明だった「明智光秀の書状」 滋賀の光秀ゆかりの寺で”発見” 来月7日から展示
45年ほど前に所在が分からなくなっていた明智光秀の書状が、滋賀県にある光秀ゆかりの寺で発見されました。 大津市の聖衆来迎寺で見つかったのは、安土桃山時代の天正5年・1577年に、明智光秀が寺に宛てて出した書状です。光秀は当時、寺の近くにあった坂本城の城主で、書状には仏を供養するために米を寄進することが記されています。
明智光秀の古文書、原本見つかる ゆかりの寺で所在不明の重要史料
大山崎町歴史資料館(京都府大山崎町)の福島克彦館長は当時、光秀が「惟任(これとう)」姓をもらっていたにもかかわらず、寄進状の肩書が「明智」となっていることを指摘し、「後世に追記したものか、光秀自身が『惟任』姓と『明智』姓を使い分けていたのか、興味深い」とコメントした。 発見された文書は1月7日から2月4日まで県立安土城考古博物館で展示する。【飯塚りりん】
もっと調べる