・・・私ア恁う恁うしたもので、これこれで出向いて来ましたって云うことを話すと、直に夫々掛りの人に通じて、忰の死骸の据ってるところへ案内される。死骸はもう棺のなかへ収まって、花も備えてあれば、盛物もしてある。ちゃんと番人までつけて、線香を絶やさない・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・せめて死骸になったら一滴の涙位は持っても宜いではないか。それにあの執念な追窮しざまはどうだ。死骸の引取り、会葬者の数にも干渉する。秘密、秘密、何もかも一切秘密に押込めて、死体の解剖すら大学ではさせぬ。できることならさぞ十二人の霊魂も殺してし・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・三次の手には荒繩で括った犬の死骸があった。太十はあとでぽさぽさとして居た。彼は毛皮を披いて見て居た。彼は思いついたように自分の家に走って木の板と鉈とを持って来た。蜀黍の垣根に括った竹の端を伐って釘を造ってそうして毛皮を其板へ貼りつけた。悲し・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・その死骸がポント・フラクト城より移されて聖ポール寺に着した時、二万の群集は彼の屍を繞ってその骨立せる面影に驚かされた。あるいは云う、八人の刺客がリチャードを取り巻いた時彼は一人の手より斧を奪いて一人を斬り二人を倒した。されどもエクストンが背・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・フー、フーと極めて微かに、私は幾度も耳のせいか、神経のせいにして見たが、「死骸が溜息をついてる」とその通りの言葉で私は感じたものだ。と同時に腹ん中の一切の道具が咽喉へ向って逆流するような感じに捕われた。然し、 然し今はもう総てが目の前に・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ けれども、死骸はたやすく見当らなかッた。翌年の一月末、永代橋の上流に女の死骸が流れ着いたとある新聞紙の記事に、お熊が念のために見定めに行くと、顔は腐爛ってそれぞとは決められないが、着物はまさしく吉里が着て出た物に相違なかッた。お熊は泣・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・まさか比翼塚でも二つの死骸を一つの棺に入れるわけでも無いから、そんな事はどうでもいいのであるが、併しこの歌は痴情をよく現わしておると同時に、棺の窮屈なものであるという事も現わしておる。斯んな歌になって見ると、棺の窮屈なのも却て趣味が無いでは・・・ 正岡子規 「死後」
・・・その死骸を営舎までもって帰るように。があ。引き揚げっ。」「かしこまりました。」強い兵曹長はその死骸を提げ、烏の大尉はじぶんの杜の方に飛びはじめ十八隻はしたがいました。 杜に帰って烏の駆逐艦は、みなほうほう白い息をはきました。「け・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
・・・「エエ、わたしゃ人間の死骸と蛇と女郎ぐもとくさった柿がすき」「そんないやらしい事ばっかり云わないもんだよ、私は段々お前がこわくなって行く。逃げ出したいと思ってるだけど私はどうしたものか手足を思う様に動かす事が出来ない。私しゃ心から御・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・ 五助は犬の死骸をかたわらへ置いた。そして懐中から一枚の書き物を出して、それを前にひろげて、小石を重りにして置いた。誰やらの邸で歌の会のあったとき見覚えた通りに半紙を横に二つに折って、「家老衆はとまれとまれと仰せあれどとめてとまらぬこの・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫