・・・我々は今日、治世にありて乱を思わず、創業の後を承けて守成を謀る者なり。時勢を殊にし事態を同じゅうせずといえども、熱心の熱度は前年の君に異ならず。けだしこの熱は我々の身において独発に非ず。その実は君の余熱に感じて伝染したるものというも可なり云・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・我が王朝文弱の時代にその風を成し、玉の盃底なきが如しなどの語は、今に至るまで人口に膾炙する所にして、爾後武家の世にあっては、戸外兵馬の事に忙わしくして内を修むるに遑なく、下って徳川の治世に儒教大いに興りたれども、支那の流儀にして内行の正邪は・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・二十世紀の初頭、イギリスでヴィクトリア女皇の治世時代、いわゆるヴィクトーリアンの風俗が、女らしさの点でどんなに窮屈滑稽、そして女にとって悲しいものであったかということは、沢山の小説が描き出しているばかりでなく、今日ヴィクトーリアンという言葉・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・ワグナーがオペラをプロシア皇帝の治世の具として自薦したとき、はっきりそのことを云った。それでニーチェは、ワグナーと絶交したのだった。〔一九五一年一月〕 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・ 明け暮れのたつきは小役人として過しており、芸術に向う心では釣月軒として自分と周囲の生活とを眺めている宗房の目に映る寛永年代の江戸は、家光の治世で、貿易のことがはじまり、大名旗本の経済は一面の逸遊の風潮とともに益々逼迫しつつあった。米価・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
出典:青空文庫