みなもとのちかゆき【源親行】
鎌倉前期の歌学者。光行の子。法名、覚因。鎌倉幕府和歌所の奉行。父とともに源氏物語(河内本)を校訂し、完成させた。万葉集も校訂。著「原中最秘抄」など。生没年未詳。
みなもとのつねのぶ【源経信】
[1016〜1097]平安後期の公卿・歌人。俊頼の父。桂大納言・帥 (そち) 大納言とよばれる。博識多芸で、詩歌・管弦に長じ、藤原公任 (きんとう) と並んで三舟 (さんしゅう) の才と称された。家集「大納言経信集」、歌論書「難後拾遺」、日記「帥記」。
みなもとのつねもと【源経基】
[?〜961]平安中期の武将。清和天皇の皇子貞純親王の長子。六孫王と称された。藤原純友の乱鎮定に際し、小野好古に従って活躍。源の姓を賜って臣籍に降下、清和源氏の祖となった。
みなもとのとおる【源融】
[822〜895]平安前期の公卿。嵯峨天皇の皇子。源の姓を賜り、臣籍に降下。六条河原に邸宅を営み、河原左大臣とよばれた。宇治に営んだ別荘はのちに平等院となる。
みなもとのとしより【源俊頼】
[1055〜1129]平安後期の歌人。経信の子。俊恵 (しゅんえ) の父。自由清新な和歌によって高く評価され、保守派の藤原基俊と対立した。金葉集を撰進。家集「散木奇歌集」、歌学書「俊頼髄脳」。
みなもとののりより【源範頼】
[?〜1193]平安末期・鎌倉初期の武将。義朝の六男。通称、蒲冠者 (がまのかじゃ) 。兄頼朝の挙兵を助け、弟義経とともに源義仲や平氏追討に参加。のち、頼朝に追われ、伊豆修禅寺で殺された。
みなもとのひろまさ【源博雅】
[918?〜980]平安中期の雅楽家。醍醐天皇の皇子克明親王の子。博雅三位 (はくがのさんみ) と称される。雅楽に精通し、琴・琵琶・箏 (そう) ・笛などの名手。伝説的な逸話が多い。
みなもとのまこと【源信】
[810〜869]平安前期の公卿。嵯峨天皇の皇子。通称、北辺 (きたのべ) 左大臣。源の姓を賜り、臣籍に降下。応天門の変で嫌疑を受けたが難を免れた。
みなもとのみちちか【源通親】
⇒土御門通親
みなもとのみちとも【源通具】
[1171〜1227]鎌倉初期の歌人。通親の子。藤原俊成の娘の夫。堀河大納言と称された。和歌所寄人 (よりゅうど) で、新古今集の撰者の一人。