・・・たしかに、無上のものである。ダヴィンチは、ばかな一こくの辛酸を嘗めて、ジョコンダを完成させたが、むざん、神品ではなかった。神と争った罰である。魔品が、できちゃった。ミケランジェロは、卑屈な泣きべその努力で、無智ではあったが、神の存在を触知し・・・ 太宰治 「俗天使」
・・・の読める人にとっては、アインシュタインの相対性原理の論文でも、ブロイーの波動力学の論文でも、それを読んで一種無上の美しさを感じる人があるのをとがめるわけにはゆかないであろうと思う。ただ事がらが非情の物質と、それに関する抽象的な概念の関係に属・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・それで雷鳴のする度ごとに私は厭かずに空を眺めては雲の形態や運動、電光の形状、時間関係、雷鳴の音響の経過等を観察するのが無上の楽しみになって来た。そうした雷の現象に関するあらゆる研究に興味を引かれてその方面の文献を、別に捜す気になるまでもなく・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・くけれど、自分はその頃から文学とか音楽とかとにかく中学生の身としては監督者の眼を忍ばねばならぬ不正の娯楽に耽りたい必要から、留守番という体のいい名義の下に自ら辞退して夏三月をば両親の眼から遠ざかる事を無上の幸福としていたからである。 た・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・敵のためにも、味方のためにも、双方共に無上の幸というべし。故にいわく、市学校は旧中津藩の僥倖を重ねて固くして真の幸福となしたるものなり。 余輩の所見をもって、旧中津藩の沿革を求め、殊に三十年来、余が目撃と記憶に存する事情の変化を察すれば・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・、その子の何を学ぶを知らず、その行状のいかなるを知らず、餅は餅屋、酒は酒屋の例を引き、病気に医者あり、教育に教師ありとて、七、八円の金を以て父母の代人を買入れ、己が荷物を人に負わせて、本人は得々として無上の安楽世界なるが如し。たまたま他人の・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・その時の事情をいえば、本人の心に企つるところの事は大に過ぎて、これに応ずべき自己の力は小にして足らず、その大小の平均を得るに路なきがために、無上の宝たる一命をもて己が企つるところの事に殉じ、いささかその情を慰めて、もって快と称するものなり。・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・ 蓋し勝氏輩の所見は内乱の戦争を以て無上の災害無益の労費と認め、味方に勝算なき限りは速に和して速に事を収るに若かずとの数理を信じたるものより外ならず。その口に説くところを聞けば主公の安危または外交の利害などいうといえども、その心術の底を・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・この俳句はその創業の功より得たる名誉を加えて無上の賞讃を博したれども、余より見ればその賞讃は俳句の価値に対して過分の賞讃たるを認めざるを得ず。誦するにも堪えぬ芭蕉の俳句を註釈して勿体つける俳人あれば、縁もゆかりもなき句を刻して芭蕉塚と称えこ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・いずれはもろともに、善逝の示された光の道を進み、かの無上菩提に至ることでございます。それではお別れいたします。さようなら。」 老人は、黙って礼を返しました。何か云いたいようでしたが黙って俄かに向うを向き、今まで私の来た方の荒地にとぼとぼ・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
出典:青空文庫