のむらかつや【野村克也】
[1935〜2020]プロ野球選手・監督。京都の生まれ。昭和29年(1954)南海(福岡ソフトバンクの前身)に入団。昭和40年(1965)戦後初の三冠王を獲得。昭和45年(1970)から昭和52年(1977)は選手兼任監督として活躍。本塁打王9回、打点王7回、通算657本塁打など、数々の記録を樹立。引退後はヤクルト・阪神・楽天などの監督を歴任した。
のむらきちさぶろう【野村吉三郎】
[1877〜1964]海軍軍人・外交官。和歌山の生まれ。軍令部次長・鎮守府司令長官・外相などを経て駐米大使。太平洋戦争開戦まで日米交渉にあたった。
のむらこどう【野村胡堂】
[1882〜1963]小説家・音楽評論家。岩手の生まれ。本名、長一。「銭形平次捕物控」などで大衆文学の新生面を開く一方、「あらえびす」の筆名で「ロマン派の音楽」なども執筆。
出典:gooニュース
羽生結弦から伝わってきた野村萬斎との〝共鳴〟共演・鈴木明子さん「神聖な時間を感じました」
当公演では、かねて羽生が熱望してきた野村との共演が実現。第1部の最後には野村の代表的な演目である「MANSAIボレロ」を演じた。「羽生さんと萬斎さんはアイデアを出し合い、私たちスケーターも周りで滑る中で、タイミングなどの合わせ方が難しい部分もあったが、萬斎さんは柔軟に対応してくれた。本番では集中力が研ぎ澄まされており、明らかに空気が一変する瞬間があった。
野村萬斎が叫んだ 羽生結弦が泣いた 生きていることの尊さ 「notte stellata」千秋楽
東北から希望を発信するショーは、スペシャルゲストの狂言師・野村萬斎(58)の叫び、羽生さんの涙と笑顔で幕を閉じた。 千秋楽ならではのサプライズに、羽生さんの目に涙が浮かんだ。萬斎が“カーテンコール”でマイクを握った。「今生きているっていう実感ありますかー!」「生きていてよかったかー!」。観客とのコールアンドレスポンス。
近藤真彦と野村義男の台湾ライブ 現地取材へ向かうも羽田でパスポート間違いが発覚した記者は…
2日に行われた近藤真彦(60)と野村義男(60)の台湾ライブ「MASAHIKOとYOSHIO in 台湾 2025」を現地取材してきた。気温30度の台北から、気温3度の東京に帰ってきて震えている。今回のライブは、1979年(昭54)のTBS系「3年B組金八先生」での初共演など、半世紀近くに及ぶマッチとヨッちゃんの友情の証のファイナル。
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