北海道函館市にある城跡。最初の西洋式城郭で、江戸幕府の箱館奉行所として安政4年(1857)から元治元年(1864)にかけて築造。その外形が星のような五稜形をしているところからの名。明治2年(1869)戊辰 (ぼしん) 戦争の際、旧幕臣榎本武揚 (えのもとたけあき) らがたてこもって官軍と戦った。→箱館戦争
出典:gooニュース
<函館 観光と市民の憩いの場 五稜郭160年>㊦ 見えてきた新たな価値
函館市の大泉潤市長(58)は8月の記者会見で、国の特別史跡・五稜郭跡の世界文化遺産への登録を目指す意義についてこう説明した。大泉氏は初当選した2023年の市長選で、公約の一つに、五稜郭の世界遺産登録を目指す活動の推進と機運の醸成を掲げた。...
<函館 観光と市民の憩いの場 五稜郭160年>㊥ 崩れる石垣 修復に意義
2月下旬、函館市の特別史跡・五稜郭跡で、堀の石垣が幅6メートル、高さ3メートルにわたり崩れた。上部がえぐれ大小の石が堀へなだれ込み、内部の土がむき出しになった。...
<函館 観光と市民の憩いの場 五稜郭160年>㊤ 歴史の舞台 地元の誇り
ここは函館市にある国の特別史跡・五稜郭跡。道内を代表する観光地で、市民憩いの場だ。...
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出典:青空文庫
・・・五稜郭行というバスを見かけて乗る。何某講と染め抜いた揃いの手拭を冠・・・ 寺田寅彦「札幌まで」
・・・のために火流の針路が五稜郭の方面に向けられ、そのためにいっそ・・・ 寺田寅彦「函館の大火について」
・・・伝え聞く、箱館の五稜郭開城のとき、総督榎本氏より部下に内意を伝えて・・・ 福沢諭吉「瘠我慢の説」