ふじわら‐の‐みちかね【藤原道兼】
[961〜995]平安中期の公卿。兼家の三男。兄道隆の死後関白に就任したがわずか7日で病没し、世に七日関白と称された。
ふじわら‐の‐みちたか【藤原道隆】
[953〜995]平安中期の公卿。兼家の長男。父の死後、弟道兼を退けて、摂政・関白となった。娘定子は一条天皇の皇后。中関白(なかのかんぱく)。
ふじわら‐の‐みちなが【藤原道長】
[966〜1028]平安中期の公卿。兼家の五男。娘を次々と后に立て、外戚となって内覧・摂政・太政大臣を歴任、権勢を振るい、栄華をきわめた。晩年に出家し、法成寺を造営。関白になった事実はないが御堂...
ふじわら‐の‐みちのり【藤原通憲】
[1106〜1160]平安後期の公卿。出家して法号を円空、のち信西(しんぜい)と称し、僧の身で後白河天皇の腹臣として活躍。平治の乱で捕らえられて処刑された。著に「本朝世紀」「法曹類林」などがある。
ふじわら‐の‐むちまろ【藤原武智麻呂】
[680〜737]奈良初期の公卿。不比等(ふひと)の長男。南家の祖。大納言・右大臣などを経て左大臣になったが、疫病で死亡。
ふじわら‐の‐もとつね【藤原基経】
[836〜891]平安前期の公卿。諡号(しごう)、昭宣公。通称、堀河太政大臣。叔父良房の養子となり、応天門の変で伴善男を失脚させ、また、光孝・宇多両天皇を擁立して最初の関白となり、娘温子を女御と...
ふじわら‐の‐もろすけ【藤原師輔】
[908〜960]平安中期の公卿。忠平の子。通称、九条殿。娘安子が村上天皇の皇后となり、子の兼通・兼家、孫の道長と続く摂関家の祖となった。有職故実の九条流の祖。著「九条年中行事」、日記「九暦(き...
ふじわら‐の‐ゆきなり【藤原行成】
[972〜1028]平安中期の公卿・書家。名は「こうぜい」とも。伊尹(これただ)の孫。三蹟の一人で、その筆跡を歴任した権中納言・権大納言から権跡(ごんせき)という。和様書道の完成者で、世尊寺流の...
ふじわら‐の‐よしつね【藤原良経】
[1169〜1206]鎌倉初期の公卿・歌人・書家。九条兼実の子。摂政・従一位太政大臣となり、後京極殿と称される。歌を俊成に学び、定家の後援者でもあった。書では後京極流の祖。家集「秋篠月清(あきし...
ふじわら‐の‐よしふさ【藤原良房】
[804〜872]平安前期の公卿。冬嗣の二男。通称、白河殿・染殿。嵯峨天皇の皇女潔姫を迎え、娘明子(あきらけいこ)を文徳天皇の妃とし、人臣で初の太政大臣。また、応天門の変後、摂政となった。「続日...