あさい‐ちゅう【浅井忠】
[1856〜1907]洋画家。江戸の生まれ。フォンタネージに師事。明治美術会を創立。褐色を主調とした穏和な写実主義の作風を示す。フランス留学から帰国後は京都に住み、後進の指導に尽力。
おたか‐ひさただ【尾高尚忠】
[1911〜1951]指揮者・作曲家。東京の生まれ。尾高朝雄の弟。ウィーンに留学。指揮法をワインガルトナーに学ぶ。日本交響楽団の常任指揮者となり、日本の交響楽運動に貢献。死後、作曲に関する「尾高...
おだ‐のぶただ【織田信忠】
[1557〜1582]安土桃山時代の武将。信長の長男。父に従い転戦し、岐阜城主となった。甲斐(かい)に攻め入り、武田勝頼を攻め滅ぼしたが、本能寺の変で宿所の妙覚寺を攻められ自殺。
くろずみ‐むねただ【黒住宗忠】
[1780〜1850]江戸後期の神道家。黒住教の教祖。備前国御野郡の禰宜(ねぎ)で、大病の回復と神秘体験を得て回心、黒住教を開いた。
しゅ‐ぜんちゅう【朱全忠】
[852〜912]中国、五代後梁の初代皇帝。在位907〜912。名は温。廟号は太祖。碭山(とうざん)(江蘇省)の人。黄巣の賊徒から身を起こし、唐の節度使となる。のち、哀帝を擁立、907年、譲位さ...
そね‐の‐よしただ【曽禰好忠】
平安中期の歌人。丹後掾(たんごのじょう)であったところから、曽丹後・曽丹といわれた。当時の貴族歌壇から排斥された自由清新な歌風は、後世になって評価された。家集に「曽丹集」がある。生没年未詳。
と‐せいちゅう【杜世忠】
[1242〜1275]中国、元のフビライの臣。文永の役後、建治元年(1275)に元の正使として来日したが、鎌倉竜ノ口で斬首された。
とりい‐もとただ【鳥居元忠】
[1539〜1600]安土桃山時代の武将。徳川家康に仕え、姉川・三方ヶ原・長篠などの戦いで戦功をあげた。関ヶ原の戦いに際して伏見城を守り、石田方に包囲されて自刃。
みつただ【光忠】
鎌倉中期、備前国長船(おさふね)の刀工。長船派の祖。作風は豪壮・華麗で、刃文は丁子(ちょうじ)。その作に織田信長が愛用した「燭台切光忠」などがある。生没年未詳。
よう‐こくちゅう【楊国忠】
[?〜756]中国、唐の政治家。永楽(山西省)の人。本名、釗(しょう)。又従姉妹(またいとこ)にあたる楊貴妃の縁により玄宗皇帝に登用されて宰相となったが、安禄山の乱で貴妃とともに殺された。