よろず‐てつごろう【万鉄五郎】
[1885〜1927]洋画家。岩手の生まれ。後期印象派・フォービスムの影響を受け、フュウザン会の結成に参加。しだいに独自の解釈によるキュビスムに傾き、晩年は東洋的な表現主義へと移行した。
らい‐くにつぐ【来国次】
鎌倉後期の刀工。国俊の女婿で、のち正宗の門に入り正宗十哲の一人に挙げられる。生没年未詳。
らい‐くにとし【来国俊】
鎌倉後期の刀工。国行の子。来派の代表者。銘に「国俊」の2字のものと、来を冠した3字のものとがあって作風も異なるため、同人説・別人説の両方がある。生没年未詳。
らい‐くにみつ【来国光】
室町前期の刀工。国俊の子。国次と並ぶ来派の名工。生没年未詳。
らい‐くにゆき【来国行】
鎌倉中期の刀工。来派の事実上の始祖。生没年未詳。
ラスキ【Harold Joseph Laski】
[1893〜1950]英国の政治学者。ロンドン大学教授。労働党の執行委員長を長く務め、同党左派の理論的指導者。初期は多元的国家論を、晩年には計画的民主主義を唱えた。著「政治学大綱」「近代国家にお...
らんけい‐どうりゅう【蘭渓道隆】
[1213〜1278]鎌倉中期の臨済宗の渡来僧。宋の涪江(四川省)の人。寛元4年(1246)来日、北条時頼の帰依を受けて鎌倉に建長寺を開山。日本最初の禅師号大覚禅師を勅諡(ちょくし)され、その門...
りゅうかん【隆寛】
[1148〜1228]平安末期・鎌倉前期の浄土宗の僧。京都の人。法然に師事。東山の長楽寺に住み、多念義を主張。著「一念多念分別事」など。
りゅうこう【隆光】
[1649〜1724]江戸中期の新義真言宗の僧。大和の人。字(あざな)は栄春。将軍徳川綱吉の信を得て筑波山の知足院主となり、のちこれを江戸に移して護持院と改称。生類憐みの令を提言したという。通称...
りゅうしゅう‐しゅうたく【竜湫周沢】
[1308〜1388]室町初期の臨済宗の僧。甲斐の人。妙沢とも。夢窓疎石に師事。臨川寺・建仁寺・南禅寺・天竜寺に歴住。画才・文才に富み、水墨画の不動尊は妙沢不動と称された。著「随得集」など。