みやざき‐かんち【宮崎寒雉】
[?〜1712]江戸中期の釜師。能登の人。名は義一。前田家の兵器や鳴物(なりもの)類を鋳造していたが、のち茶の湯釜を作った。子孫は代々寒雉を名のり、現在に至る。
みやべ‐ていぞう【宮部鼎蔵】
[1820〜1864]幕末の尊攘派志士。肥後の人。吉田松陰の東北遊行に同行。京都にて討幕運動に活躍するが、池田屋で新撰組に襲われて自刃。
やまうち‐かずとよ【山内一豊】
[1546〜1605]安土桃山時代の武将。尾張の人。織田信長・豊臣秀吉に仕えたが、関ヶ原の戦いで徳川家康につき、土佐20万石に封ぜられた。信長の馬揃えの際、妻が貯えの金で名馬を買わせたという内助...
やまうち‐とよしげ【山内豊信】
[1827〜1872]江戸末期の土佐藩主。号、容堂。支藩から出て本藩を継ぎ、吉田東洋を登用して藩政改革を行った。一橋慶喜(徳川慶喜)の将軍擁立に尽力し、公武合体運動・大政奉還に活躍。
やまぎわ‐かつさぶろう【山極勝三郎】
[1863〜1930]病理学者。信州上田の生まれ。東大教授。大正4年(1915)、ウサギの耳に長期間コールタールを塗布し癌を発生させることに初めて成功。また、日本病理学会を創立。著「胃癌発生論」など。
やまざき‐そうかん【山崎宗鑑】
室町後期の連歌師・俳人。近江(おうみ)の人。本名、志那弥三郎範重。将軍足利義尚に仕え、のち出家して山城国山崎に閑居したという。「新撰犬筑波集」の編者。荒木田守武とともに俳諧の祖とされる。生没年未詳。
やまざき‐ちょううん【山崎朝雲】
[1867〜1954]彫刻家。福岡の生まれ。高村光雲に師事し、同門の平櫛田中らとともに日本彫刻会を結成。木彫による写実的表現に新生面を開いた。
やましろのおおえ‐の‐おう【山背大兄王】
[?〜643]飛鳥時代の皇族。聖徳太子の子。母は蘇我馬子の娘刀自古郎女(とじこのいらつめ)。推古天皇没後、蘇我蝦夷(そがのえみし)の推す田村皇子(舒明天皇)と皇位を争って敗れ、のち蝦夷の子入鹿(...
やまだ‐けんぎょう【山田検校】
[1757〜1817]江戸後期の箏曲(そうきょく)演奏家・作曲家。江戸の人。名は斗養一(とよいち)。幼時に失明して箏曲を学び、声楽本位の山田流箏曲を創始。語り物の要素の強い、江戸趣味に合った新曲...
よう‐けん【楊堅】
[541〜604]中国、隋の初代皇帝。在位581〜604。諡(おくりな)は文帝。廟号(びょうごう)は高祖。北周の静帝の禅譲をうけて帝位につき、突厥(とっけつ)・陳を滅ぼして天下を統一。官制・兵制...