そう‐すけくに【宗助国】
[1207〜1274]鎌倉中期の武将。対馬(つしま)の守護代。文永の役で蒙古軍と戦い、討死した。
たしろ‐さんき【田代三喜】
[1465〜1537]室町末期の医師。武蔵の人。号は範翁・廻翁など。後世方(ごせいほう)医学の祖。明(みん)に渡って医学を学び、帰国後は鎌倉、足利、古河と移って医療に従事。弟子に曲直瀬(まなせ)...
ほうじょう‐しげとき【北条重時】
[1198〜1261]鎌倉前期の武将。義時の三男。六波羅探題・連署を歴任して、執権北条時頼を補佐。のち出家。彼の残した「北条重時家訓」は、後世の武家家訓のもととなった。極楽寺殿。
ほうじょう‐ときむね【北条時宗】
[1251〜1284]鎌倉幕府第8代執権。在職1268〜1284。時頼の長男。通称、相模太郎。元寇に際して強硬策をとり、文永の役・弘安の役でこれを撃退。禅を信仰し、中国宋より無学祖元を招き、円覚...
ほうじょう‐ときより【北条時頼】
[1227〜1263]鎌倉幕府第5代執権。在職1246〜1256。泰時の孫。法名、道崇。豪族三浦一族を滅ぼし、執権北条氏の権力を確立。執権を辞してから出家。禅を信仰し、中国宋より蘭渓道隆を招き、...
ほうじょう‐まさむら【北条政村】
[1205〜1273]鎌倉幕府7代執権。義時の子。評定衆・連署などを経て文永元年(1264)執権となる。時宗に執権職を譲った後は再び連署となり、時宗を補佐した。和歌にも優れ「新勅撰和歌集」などに...
ほうじょう‐やすとき【北条泰時】
[1183〜1242]鎌倉幕府第3代執権。在職1224〜1242。義時の長男。通称、江馬太郎。承久の乱に上洛して鎮定に当たり、六波羅探題として乱後の処理にあたった。父の死後執権となり、評定衆の設...
ほうじょう‐よしとき【北条義時】
[1163〜1224]鎌倉幕府第2代執権。在職1205〜1224。時政の次男。通称、江馬小四郎。父時政の失脚後、執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、...
まさひで【正秀】
[1750〜1825]江戸後期の刀工。出羽の人。本名、川部儀八郎。号、水心子。江戸に出て、鎌倉末期から南北朝時代の刀を理想とする復古刀論を唱えた。著「刀剣実用論」など。
わたらい‐ゆきただ【度会行忠】
[1236〜1306]鎌倉後期の神道家。伊勢外宮の禰宜(ねぎ)。「神道五部書」を祖述、伊勢神道の基礎を築いた。