いしもと‐しょう【石本正】
[1920〜2015]日本画家。島根の生まれ。本名、正(ただし)。京都市立芸術大学名誉教授。昭和22年(1947)日展に「三人の少女」が初入選。舞妓の裸身像の連作で知られる。創画会会員。芸術選奨受賞。
かえりやま‐のりまさ【帰山教正】
[1893〜1964]映画監督。東京の生まれ。日本映画の近代化を求める「純映画劇運動」を展開。日本映画初の女優の起用や、シナリオを用いた弁士なしの映画形式への転換などを試みた。作品「生の輝き」「...
かとう‐かげまさ【加藤景正】
鎌倉時代の伝説的な陶工。京都の人。正式には加藤四郎左衛門景正という。通称、藤四郎。入道して春慶と号した。道元に従って宋へ渡り、製陶法を学んで帰国。尾張の瀬戸に窯を開いたとされ、瀬戸焼また陶工の祖...
かとう‐きよまさ【加藤清正】
[1562〜1611]安土桃山時代の武将。尾張の人。幼名、虎。豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳(しずがたけ)七本槍の一。肥後の半国を与えられて熊本城主となり、文禄の役・慶長の役で朝鮮に出兵。関ヶ原の戦いに...
かとう‐しろうざえもんかげまさ【加藤四郎左衛門景正】
⇒加藤景正
さわ‐しょう【沢正】
「沢田正次郎」の愛称。
むらまさ【村正】
室町時代、伊勢の刀工。桑名郡千子(せんご)に住み、千子派とも称された。利刃(りじん)をもって名高い。徳川家で、村正の刀による不祥事が相次いだことから、妖刀伝説が生まれた。同名の刀工はほかに数人い...
もり‐ありまさ【森有正】
[1911〜1976]哲学者。東京の生まれ。有礼(ありのり)の孫。東大助教授を辞してフランスに移住。デカルト・パスカルの研究に従事。著「デカルトとパスカル」「バビロンの流れのほとりにて」。
やまもと‐ただし【山本正】
[1936〜2012]東京の生まれ。日本国際交流センター理事長。昭和42年(1967)から、日米の有識者による政策対話「下田会議」を開催。昭和45年(1970)には日本国際交流センターを設立し、...
よしだ‐ただし【吉田正】
[1921〜1998]作曲家。茨城の生まれ。フランク永井、橋幸夫、松尾和子ら多くの歌手を育て、「有楽町で逢いましょう」「いつでも夢を」「誰よりも君を愛す」など、数々のヒット曲を手がけた。没後、国...