・・・もしまた素人で同じ経験を持っている人があらば、その人は同じ問題の追求に加勢してくれるかもしれない。このような考えから、私はこの懺悔とも論文ともつかないものを書いてしまった。この全編の内容が一般の読者の「笑い」の対象になっても、それはやむを得・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・ 大正十二年の震災にも焼けなかった観世音の御堂さえこの度はわけもなく灰になってしまったほどであるから、火勢の猛烈であったことは、三月九日の夜は同じでも、わたくしの家の焼けた山の手の麻布あたりとは比較にならなかったものらしい。その夜わたく・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・後からつづいて停車した電車の車掌までが加勢に出かけて、往来際には直様物見高い見物人が寄り集った。 車の中から席を去って出口まで見に行くものもある。「けちけちするない――早く出さねえか――正直に銭を払ってる此輩アいい迷惑だ。」と叫ぶものも・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・受けてこれを読むに、けだし近時英国の碩学スペンサー氏の万物の追世化成の説を祖述し、さらに創意発明するところあり。よってもってわが邦の制度文物、異日必ずまさになるべき云々の状を論ず。すこぶる精微を極め、文辞また婉宕なり。大いに世の佶屈難句なる・・・ 中江兆民 「将来の日本」
・・・小万さん、お前加勢しておくれよ」「いやなことだ。私ゃ平田さんと仲よくして、おとなしく飲むんだよ。ねえ平田さん」「ふん。不実同士揃ッてやがるよ。平田さん、私がそんなに怖いの。執ッ着きゃしませんからね、安心しておいでなさいよ。小万さん、・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 古より家政などいう熟字あり。政の字は政府に限らざることあきらかに知るべし。結局政府に限りて人民の私に行うべからざる政は、裁判の政なり、兵馬の政なり、和戦の政なり、租税の政なり、この他わずかに数カ条にすぎず。 されば人民たる者が一国・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・「実にしずかな晩ですねえ。」「ええ。」樺の木はそっと返事をしました。「蝎ぼしが向うを這っていますね。あの赤い大きなやつを昔は支那では火と云ったんですよ。」「火星とはちがうんでしょうか。」「火星とはちがいますよ。火星は惑星・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
・・・星はだんだんめぐり、赤い火星ももう西ぞらに入りました。 梟の坊さんはしばらくゴホゴホ咳嗽をしていましたが、やっと心を取り直して、又講義をつづけました。「みなの衆、まず試しに、自分がみそさざいにでもなったと考えてご覧じ。な。天道さまが・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・ ふき子はお対手兼家政婦の岡本が引込んでいる裏座敷の方を悩ましそうに見ながら訴えた。「弱いんじゃない?」「さあ……女中と喧嘩して私帰らしていただきますなんていうの」 岡本が、蒼白い平らな顔に髪を引束ねた姿で紅茶を運んで来た。・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・実生活の困難がますます加わって来るにつれて、男は妻をますます家政の守りとして求め、その求めてゆく心にいつしか日本の社会の古い古い陰翳が落ちて、新しい世代の賢さから生れる家政上手に信頼をつなごうとするより、そのことではむしろ旧套にたよった守勢・・・ 宮本百合子 「異性の友情」
出典:青空文庫