・・・ただ身体中の毛穴から暖かい日光を吸い込んで、それがこのしなびた肉体の中に滲み込んで行くような心持をかすかに自覚しているだけであった。 ふと気がついて見ると私のすぐ眼の前の縁側の端に一枚の浅草紙が落ちている。それはまだ新しい、ちっとも汚れ・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・その頃にはエキゾチズムという語はまだ知ろうはずもなかったので、わたくしは官覚の興奮していることだけは心づいていながら、これを自覚しこれを解剖するだけの智識がなかったのである。 しかし日に日に経験する異様なる感激は、やがて朧ながらにも、海・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・昔の人に対して一歩も譲らざる苦痛の下に生活しているのだと云う自覚が御互にある。否開化が進めば進むほど競争がますます劇しくなって生活はいよいよ困難になるような気がする。なるほど以上二種の活力の猛烈な奮闘で開化は贏ち得たに相違ない。しかしこの開・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
世界はそれぞれの時代にそれぞれの課題を有し、その解決を求めて、時代から時代へと動いて行く。ヨウロッパで云えば、十八世紀は個人的自覚の時代、所謂個人主義自由主義の時代であった。十八世紀に於ては、未だ一つの歴史的世界に於ての国家と国家との・・・ 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
・・・耶蘇と同じく、ニイチェもまた自己が人類の殉教者であり、新時代の新しいキリストであることを自覚して居た。それ故にこそ、彼の最後の書物に標題して、自ら悲壮にも Ecce homoと書いた。Ecce homo とは、十字架に書きつけられた受難者キ・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・左れば此一節は女大学記者も余程勘弁して末段に筆を足し、婦人の心正しければ子なくとも去るに及ばずと記したるは、流石に此離縁法の無理なるを自覚したることならん。又妾に子あらば妻に子なくとも去るに及ばずとは、元来余計な文句にして、何の為めに記した・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・で、自分の理想からいえば、不埒な不埒な人間となって、銭を取りは取ったが、どうも自分ながら情ない、愛想の尽きた下らない人間だと熟々自覚する。そこで苦悶の極、自ら放った声が、くたばって仕舞え! 世間では、私の号に就ていろんな臆説を伝えている・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・若い従妹の傍でそれが一層明かに自覚された。ふき子の内身からは一種無碍な光輝が溢れ出て、何をしている瞬間でもその刹那刹那が若い生命の充実で無意識に過ぎて行く。丁度無心に咲いている花の、花自身は知らぬ深い美に似たものが、ふき子の身辺にあった。陽・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 使用上、所謂、敬語、階級的な感情、観念を現す差別の多いこと、女の言葉、男の言葉に著しい違いのある点、文字が見た眼には、字画がグロテスクで、実は精緻な直感に欠けていることなども不満としてあげられます。 けれども、ペンをとり、物を書こ・・・ 宮本百合子 「芸術家と国語」
・・・ 彼は生れたときからどうしたのか、耳殻が両方ともついていない。立派な王冠の左右へ、虫の巣のように毛もじゃもじゃな黒い穴ばかりが、ポカリと開いていた。 その様子が非常に滑稽だったので、子供達や、正直な若い者は、皆、 王様は立派でい・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
出典:青空文庫