たいらのこれもり【平維盛】
[1158〜1184ころ]平安末期の武将。重盛の長子。源頼朝と富士川に対陣中、水鳥の羽音に驚いて敗走。のち、源義仲追討に進撃したが、砺波山 (となみやま) で大敗。その後滝口入道のもとで出家し、那智で入水。桜梅 (おうばい) 少将。小松中将。
たいらのさだふん【平貞文】
[?〜923]平安時代の歌人。名は「さだふみ」とも。平貞文家歌合を主催、歌は「古今和歌集」以下の勅撰集に26首。「平中 (へいちゅう) 」の称で知られ、「平中物語」の主人公、好色の美男子と伝えられる。平定文。
たいらのさだもり【平貞盛】
平安中期の武将。国香の子。父の死後、藤原秀郷 (ふじわらのひでさと) と力を合わせて、父を殺した平将門 (たいらのまさかど) を下総 (しもうさ) の猿島 (さしま) に討った。のち、鎮守府将軍。生没年未詳。
たいらのしげこ【平滋子】
建春門院 (けんしゅんもんいん) の実名。
たいらのしげひら【平重衡】
[1157〜1185]平安末期の武将。清盛の子。源頼政を宇治川で破り、東大寺・興福寺を焼いた。のち、一ノ谷の戦いで敗れ、捕らえられて鎌倉へ送られたが、南都僧徒の要求により木津川で斬られた。
たいらのしげもり【平重盛】
[1138〜1179]平安末期の武将。清盛の長子。保元・平治の乱の功により左近衛大将・内大臣。清盛による後白河法皇幽閉を諫止 (かんし) 。病のため退官、父に先だって病死。謹直、武勇にすぐれた人物と伝えられる。灯籠大臣。小松殿。小松内府。
たいらのたかもち【平高望】
桓武平氏の祖。桓武天皇の皇子葛原 (かつらばら) 親王の孫。寛平元年(889)平朝臣 (たいらのあそん) の姓を受け、上総介 (かずさのすけ) となり、現地に土着して関東に勢力を築いた。高望王。生没年未詳。
たいらのただつね【平忠常】
[967〜1031]平安中期の武将。高望 (たかもち) の曽孫。法名、常安。上総介 (かずさのすけ) ・武蔵押領使 (むさしおうりょうし) を歴任。長元元年(1028)内乱を起こしたが、源頼信の討伐に降伏し、護送上洛の途中美濃で病死。千葉氏・上総氏の祖。
たいらのただのり【平忠度】
[1144〜1184]平安末期の武将・歌人。忠盛の子。清盛の弟。薩摩守 (さつまのかみ) 。藤原俊成に師事して和歌をよくし、平氏西走の途中、京都に引き返して師に詠草1巻を託した話は有名。一ノ谷の戦いで戦死。
たいらのただもり【平忠盛】
[1096〜1153]平安末期の武将。正盛の子。清盛の父。白河・鳥羽上皇の信任が厚く、検非違使 (けびいし) から刑部 (ぎょうぶ) 卿に累進、内昇殿を許された。日宋貿易により財力を得、公家的素養もあって平氏の宮廷における地歩を築いた。