・・・学校をあがってから、ときには学校を休んで、近所の屋敷町を売り歩いた。 私は学校が好きだったから、このんで休んだわけではない。こんにゃくを売って、わずかの儲けでも、私の家のくらしのたすけにはなったからである。お父さんもお母さんもはたらき者・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・描かんとする人物に対して、著作者の同情深厚ならざるときはその制作は必ず潤いなき諷刺に堕ち、小説中の人物は、唯作者の提供する問題の傀儡たるに畢るのである。わたしの新しき女を見て纔に興を催し得たのは、自家の辛辣なる観察を娯しむに止って、到底その・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・しかし人間精神上の生活において、吾人がもし一イズムに支配されんとするとき、吾人は直に与えられたる輪廓のために生存するの苦痛を感ずるものである。単に与えられたる輪廓の方便として生存するのは、形骸のために器械の用をなすと一般だからである。その時・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・ 町へ行くときも、酒を飲むときも、女と遊ぶときも、僕は常にただ一人である。友人と一緒になる場合は、極く稀れに特別の例外でしかない。多くの人は、仲間と一緒の方を楽しむらしい。ただ僕だけが変人であり、一人の自由と気まま勝手を楽しむのである。・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・階段の第一段を下るとき、溜っていた涙が私の眼から、ポトリとこぼれた。 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・(因 私は北九州若松港に生まれて育ったので、小さいときから海には親しんだ。泳ぎも釣りも好きだった。その釣りの初歩のころ、やたらに河豚がかかるのであきれたものである。河豚は水面と海底との中間を泳いでいるし、食い意地が張っているので、エサを・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・既に其分量を誤るときは良薬も却て害を為す可し。左れば父母が其子を養育するに、仮令い教訓の趣意は美なりとするも、女子なるが故にとて特に之を厳にするは、男女同症の患者に対して服薬の分量を加減するに異ならず。女子の方に適宜なれば男子の方は薬量の不・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・されば火を見ては熱を思い、水を見ては冷を思い、梅が枝に囀ずる鶯の声を聞ときは長閑になり、秋の葉末に集く虫の音を聞ときは哀を催す。若し此の如く我感ずる所を以て之を物に負わすれば、豈に天下に意なきの事物あらんや。 斯くいえばとて、強ちに実際・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・そうして置けば、それが他日物を書くときになって役に立たぬ気遣いは無い。それからピエエルは体を楽にして据わり直して、手紙を披いて読んだ。 ―――――――――――――――――――― イソダン。五月二十三日。 なぜ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・詠歌のごときはもとよりその専攻せしところに非ざるべきも、胸中の不平は他に漏らすの方なく、凝りて三十一字となりて現れしものなるべく、その歌が塵気を脱して世に媚びざるはこれがためなり。彼自ら詠じて曰く吾歌をよろこび涙こぼすらむ鬼のなく声・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫