・・・とえ、両国橋、新大橋、永代橋と、河口に近づくに従って、川の水は、著しく暖潮の深藍色を交えながら、騒音と煙塵とにみちた空気の下に、白くただれた目をぎらぎらとブリキのように反射して、石炭を積んだ達磨船や白ペンキのはげた古風な汽船をものうげにゆす・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・と言うのは亜鉛屋根に青ペンキを塗った達磨茶屋です。当時は今ほど東京風にならず、軒には糸瓜なども下っていたそうですから、女も皆田舎じみていたことでしょう。が、お松は「青ペン」でもとにかく第一の美人になっていました。もっともどのくらいの美人だっ・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・わらくずやペンキ塗りの木の片が黄緑色に濁った水面を、一面におおっている。どうも、昔、森さんの「桟橋」とかいうもので読んだほど、小説らしくもなんともない。 麦わら帽子をかぶって、茶の背広を着た君は、扇を持って、こっちをながめていた。それも・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・ 丁度私が其の不調和なヤコフ・イリイッチの面構えから眼を外らして、手近な海を見下しながら、草の緑の水が徐ろに高くなり低くなり、黒ペンキの半分剥げた吃水を嘗めて、ちゃぶりちゃぶりとやるのが、何かエジプト人でも奏で相な、階律の単調な音楽を聞・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・水色のペンキで塗りつぶした箱の横腹に、「精乳社」と毒々しい赤色で書いてあるのが眼を牽いたので、彼は急ぎながらも、毒々しい箱の字を少し振り返り気味にまでなって読むほどの余裕をその車に与えた。その時車の梶棒の間から後ろ向きに箱に倚りかかっている・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・秋も末になると、ある日のこと、ペンキ屋がきて私を美しく、てかてかと塗りました。私は、思いがけないりっぱな着物を着たのでうれしかった。また二、三年は、どんな雨や、風にも負けないと思ったからです。 冬がくると、急に私は、人間から大事にされま・・・ 小川未明 「煙突と柳」
・・・道頓堀川の岸へ下って行く階段の下の青いペンキ塗の建物は共同便所でした。芋を売る店があり、小間物屋があり、呉服屋があった。「まからんや」という帯専門のその店の前で、浜子は永いこと立っていました。 新次はしょっちゅう来馴れていて、二つ井戸な・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・南海通にもあくどいペンキ塗りのバラックの飲食店や闇商人の軒店や街頭賭博屋の屋台が並んでいて、これが南海通かと思うと情けなく急ぎ足に千日前へ抜けようとすると、続けざまに二度名前を呼ばれた。声のする方をひょいと見ると、元「波屋」があった所のバラ・・・ 織田作之助 「神経」
・・・一町先が晴れてもそこだけは降り、風は黒く渡り、板塀は崩れ、青いペンキが剥げちょろけになったその建物のなかで、人びとは古障子のようにひっそりと暮していた。そして佐伯はいわばその古障子の破れ穴とでもいうべきうらぶれた日日を送っていたのである。・・・ 織田作之助 「道」
・・・ 乳母車なんとかと白くペンキで書いた屋根が見える。 日をうけて赤い切地を張った張物板が、小さく屋根瓦の間に見える。―― 夜になると火の点いた町の大通りを、自転車でやって来た村の青年達が、大勢連れで遊廓の方へ乗ってゆく。店の若い衆・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
出典:青空文庫