ほうじょうまさこ【北条政子】
[1157〜1225]源頼朝の正室。頼家・実朝の母。時政の長女。頼朝の死後尼となり、初め頼家、のち実朝を将軍としてその後見となった。実朝暗殺後は京都から九条頼経を4代将軍に迎え、執権政治を確立して尼将軍といわれた。平政子。 永井路子による長編の歴史小説。昭和42年(1967)から昭和43年(1968)にかけて「新潟日報」などの地方紙に連載。昭和44年(1969)、単行本刊行。の半生を描く。
ほうじょうまさむら【北条政村】
[1205〜1273]鎌倉幕府7代執権。義時の子。評定衆・連署などを経て文永元年(1264)執権となる。時宗に執権職を譲った後は再び連署となり、時宗を補佐した。和歌にも優れ「新勅撰和歌集」などに37首を残す。
ほうじょうやすとき【北条泰時】
[1183〜1242]鎌倉幕府第3代執権。在職1224〜1242。義時の長男。通称、江馬太郎。承久の乱に上洛して鎮定に当たり、六波羅探題として乱後の処理にあたった。父の死後執権となり、評定衆の設置、御成敗式目の制定など、御家人中心の武家政治の確立に努めた。
ほうじょうよしとき【北条義時】
[1163〜1224]鎌倉幕府第2代執権。在職1205〜1224。時政の次男。通称、江馬小四郎。父時政の失脚後、執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、幕府権力を安定させ、北条氏の執権政治を固めた。
ほうじょうりゅう【北条流】
江戸初期、小幡景憲の門人北条氏長が創始した軍学の流派。
ほうじょうさだとき【北条貞時】
[1271〜1311]鎌倉幕府の武将。第9代執権。北条時宗の子。父の死により、14歳で執権に就任。当時、伯父の安達泰盛が権勢を振るっていたが、内管領に就いた平頼綱がこれを排除。その後、専制体制を敷いた頼綱を討伐し、自ら実権を掌握した。