・・・ 安岡は淋しかった。なんだか心細かった。がもう一学期半辛抱すれば、華やかな東京に出られるのだからと強いて独り慰め、鼓舞していた。 十月の末であった。 もう、水の中に入らねばしのげないという日盛りの暑さでもないのに、夕方までグラウ・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・河豚のおいしいのは十二月から一月までである。十月ごろから食べはじめ、三月のいわゆる菜種河豚でおしまいにするが、なんといっても正月前後がシュンだ。そこで、正月の松の内に、五、六人の友人と一隻のポンポン船で遠征し、寒さでみんなカゼを引いてしまっ・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・それにも構わず善吉は毎晩のように通い詰め通い透して、この十月ごろから別して足が繁くなり、今月になッてからは毎晩来ていたのである。死金ばかりは使わず、きれるところにはきれもするので、新造や店の者にはいつも笑顔で迎えられていたのであった。「・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・○御所柿を食いし事 明治廿八年神戸の病院を出て須磨や故郷とぶらついた末に、東京へ帰ろうとして大坂まで来たのは十月の末であったと思う。その時は腰の病のおこり始めた時で少し歩くのに困難を感じたが、奈良へ遊ぼうと思うて、病を推して出掛けて行た・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ *一千九百廿五年十月十六日一時間目の修身の講義が済んでもまだ時間が余っていたら校長が何でも質問していいと云った。けれども誰も黙っていて下を向いているばかりだった。ききたいことは僕だってみんなだ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・〔一九三二年九・十月〕 宮本百合子 「明るい工場」
私は豊前の小倉に足掛四年いた。その初の年の十月であった。六月の霖雨の最中に来て借りた鍛冶町の家で、私は寂しく夏を越したが、まだその夏のなごりがどこやらに残っていて、暖い日が続いた。毎日通う役所から四時過ぎに帰って、十畳ばか・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・場所はこのブダペストで、時は十月。男。どうも分かりませんな。貴夫人。まあお聞きなさいましよ。十年前にあなたとある所の晩餐会で御一しょになりましたの。その時はあなたがまだ栗色の髪の毛をしていらっしゃいました。わたくしもあの時から見ると・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・自分は昨年の十月に月評を引き受けてやってみた。すると、或る種の人々は分らないと云って悪罵した。自分は感覚を指標としての感覚的印象批評をしたまでにすぎなかった。それは如上の意味の感覚的印象批評である以上、如上の意味で分らないものには分らないの・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・ 少しずつ黄色が目立ちはじめるのは、十月になってからであったと思う。新緑の時に樹の種類によって遅速があり、またその新芽の色を著しく異にしていたように、緑があせて黄色が勝ち始める時期も、またその黄色の色調も、樹によってそれぞれ違う。十月の・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫