・・・スワの気が立って来たのをとうから見抜いていたが、それもスワがそろそろ一人前のおんなになったからだな、と考えてそのときは堪忍してやったのであった。「そだべな、そだべな」 スワは、そういう父親のかかりくさのない返事が馬鹿くさくて馬鹿くさ・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・否定し尽すまでは、堪忍できないんだ。ヒステリイを起しちゃうんだから仕様が無い。話があるんなら、話を聞くよ。だらしが無いねえ、君は。僕を、どこかへ引っぱって行こうというのか?」 見ると、彼は、いつのまにやら、ちゃんと下駄をはいている。買っ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・僕はよくここにこうして坐りこみながら眼のまえをぞろぞろと歩いて通る人の流れを眺めているのだが、はじめのうちは堪忍できなかった。こんなにたくさんひとが居るのに、誰も僕を知っていない、僕に留意しない、そう思うと、――いや、そうさかんに合槌うたな・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・プライドが、虫が、どうしてもそれを許容できない場合がある。堪忍ならぬのである。私は、犬をきらいなのである。早くからその狂暴の猛獣性を看破し、こころよからず思っているのである。たかだか日に一度や二度の残飯の投与にあずからんがために、友を売り、・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・ウィリアムは怒って夜鴉の城へはもう来ぬと云ったらクララは泣き出して堪忍してくれと謝した事がある。……二人して城の庭へ出て花を摘んだ事もある。赤い花、黄な花、紫の花――花の名は覚えておらん――色々の花でクララの頭と胸と袖を飾ってクイーンだクイ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・と、吉里は西宮を見て、「堪忍して下さいよ。もう愚痴は溢さない約束でしたッけね。ほほほほほほ」と、淋しく笑ッた。「花魁、花魁」と、お熊がまたしても室外から声をかける。「今じきに行くよ」と、吉里も今度は優しく言う。お熊は何も言わないであ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・なまねこ、なまねこ、なまねこ。お前のみみを一寸かじるじゃ。なまねこ。なまねこ。こらえなされ。お前のあたまをかじるじゃ。むにゃ、むにゃ。なまねこ。堪忍が大事じゃぞえ。なま……。むにゃむにゃ。お前のあしをたべるじゃ。うまい。なまねこ。むにゃ。む・・・ 宮沢賢治 「蜘蛛となめくじと狸」
・・・怜悧で何もかも分かって、それで堪忍して、おこるの怨むのと云うことはしないと云う微笑である。「あの、笑靨よりは、口の端の処に、竪にちょいとした皺が寄って、それが本当に可哀うございましたの」と、お金が云った。僕はその時リオナルドオ・ダア・ヰンチ・・・ 森鴎外 「心中」
・・・どうぞ堪忍してくれ。どうせなおりそうにもない病気だから、早く死んで少しでも兄きにらくがさせたいと思ったのだ。笛を切ったら、すぐ死ねるだろうと思ったが息がそこから漏れるだけで死ねない。深く深くと思って、力いっぱい押し込むと、横へすべってしまっ・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・一体冷却する時間をお与えなさるなんと云うことは、女に取って、一番堪忍出来にくいのでございますけれど。そのうち馬車が参りましたのね。男。ええ、わたくしは一頭曳の馬車を雇って来たのでした。貴夫人。そうでした。それでもよくあの馬車が一頭曳・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
出典:青空文庫