・・・ また次に御報いたします。きょうはカルネバルの Mardi-gras ですからにぎわうことだろうと思います。 パリから このあいだここのユーゴー博物館というのを見ました。ユーゴーの住まっていた家で遺物など陳列・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ちと人が悪いようなれども一切只にて拝見したる報いは覿面、腹にわかに痛み出して一歩もあゆみ難くなれり。近きベンチへ腰をかけて観音様を祈り奉る俄信心を起すも霊験のある筈なしと顔をしかめながら雷門を出づれば仁王の顔いつもよりは苦し。仲見世の雑鬧は・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・維新前後志士の苦心もいささか酬いられたといわなければならぬ。しからば新日本史はここに完結を告げたか。これから守成の歴史に移るのか。局面回復の要はないか。最早志士の必要はないか。飛んでもないことである。五十歳前、徳川三百年の封建社会をただ一簸・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・一夜の宿の情け深きに酬いまつるものなきを恥ず」と答えたるは、具足を脱いで、黄なる袍に姿を改めたる騎士なり。シャロットを馳せる時何事とは知らず、岩の凹みの秋の水を浴びたる心地して、かりの宿りを求め得たる今に至るまで、頬の蒼きが特更の如くに目に・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・季子は剣を墓にかけて、故人の意に酬いたと云うから、余も亦「猫」を碣頭に献じて、往日の気の毒を五年後の今日に晴そうと思う。 子規は死ぬ時に糸瓜の句を咏んで死んだ男である。だから世人は子規の忌日を糸瓜忌と称え、子規自身の事を糸瓜仏となづけて・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』中篇自序」
・・・只今報いを果しました。私共は天に帰ります。ただ私の一人の孫はまだ帰れません。これはあなたとは縁のあるものでございます。どうぞあなたの子にしてお育てを願と斯うでございます。 須利耶さまが申されました。(いいとも。すっかり判った。引き受・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・ なんど来ても結てやらなかった髪は今私がいかほど心を入れてといてやったところで一つの微笑さえ報いて呉れないではないか。 欲しいと云ってもやらなかった人形をやらなかった事を思ってせめられる私の今の心よ、只一言、私の名を呼んで呉れたらす・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ 私は、平静な微笑をもって、其に報い得る。けれども、此は私丈ではないと思う、どんな小さいことでも、芸術的の創作に力をそそぐ人は、彼等の作品を認められ、賞讚されたという場合に、仮令如何に其を押えようとしても押えられない嬉しさが来る。 ・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・それでその恩に報いなくてはならぬ、その過ちを償わなくてはならぬと思い込んでいた長十郎は、忠利の病気が重ってからは、その報謝と賠償との道は殉死のほかないとかたく信ずるようになった。しかし細かにこの男の心中に立ち入ってみると、自分の発意で殉死し・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・そういう罪過はいろいろな形で彼に報いに来ました。がしかし、彼はその苦悩の真の原因を悟る事ができないのでした。私はその人の人格に同感すればするほど不愉快を感じます。そうしてその苦悩に同情するよりもその無知と卑劣が腹立たしくなります。――で、私・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫