出典:gooニュース
大河『家康』征夷大将軍となり幕府を開いた深い理由 豊臣重臣の枠を抜け出したかった 識者語る
関ヶ原の合戦(1600年)に勝利した徳川家康(松本潤)が、その3年後の慶長8年(1603)に朝廷から征夷大将軍に任命される様が描かれました。関ヶ原合戦に勝利し、事実上の「天下人」となった家康は、なぜ将軍に就任し、江戸に幕府を開く必要があったのでしょうか。その答えを探る前に、家康の将軍就任の様子を見てみましょう。
家康征夷大将軍任官の意義とは
今回のテーマは「家康征夷大将軍任官の意義」です。 * * * * * * * 征夷大将軍任官 慶長八年(一六〇三)二月十二日、家康は伏見城に勅使を迎え、待望の征夷大将軍に任ぜられた。同時に、源氏長者、淳和・奨学両院の別当に任じられ、牛車・兵仗も許され、さらに右大臣に昇任した。
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