・・・ するとそのひばりの子供は、いよいよびっくりして、黄色なくちばしを大きくあけて、まるでホモイのお耳もつんぼになるくらい鳴くのです。 ホモイはあわてて一生けん命、あとあしで水をけりました。そして、 「大丈夫さ、 大丈夫さ」と言いな・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
病みあがりの髪は妙にねばりが強くなって、何ぞと云ってはすぐこんぐらかる。 昨日、気分が悪くてとかさなかったので今日は泣く様な思いをする。 櫛の歯が引っかかる処を少し力を入れて引くとゾロゾロゾロゾロと細い髪が抜けて来・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・ただ暖かい野の朝、雲雀が飛び立って鳴くように、冷たい草叢の夕、こおろぎが忍びやかに鳴く様に、ここへ来てハルロオと呼ぶのである。しかし木精の答えてくれるのが嬉しい。木精に答えて貰うために呼ぶのではない。呼べば答えるのが当り前である。日の明るく・・・ 森鴎外 「木精」
・・・ 色の蒼ざめた、小さい女房は独りで泣くことをも憚った。それは亭主に泣いてはならぬと云われたからである。女と云うものは涙をこらえることの出来るものである。 翌日は朝から晩まで、亭主が女房の事を思い、女房が亭主の事を思っている。そのくせ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・ 屋根の虫が鳴くぞよ。」 灸は柱に頬をつけて歌を唄い出した。蓑を着た旅人が二人家の前を通っていった。屋根の虫は丁度その濡れた旅人の蓑のような形をしているに相違ないと灸は考えた。 雨垂れの音が早くなった。池の鯉はどうしているか・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・外では鐸の音がの鳴くように聞える。 フィンクはなんとか返事をしなくてはならないような心持がした。「わたしは病気ではないのです。弟が病気で、ニッツアに行っています所が、そいつがひどく工合が悪くなったというので、これから見舞に行って遣る・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・私は涙ぐみながら子供の泣くのを叱っていました。おしまいには私も子供といっしょに大声をあげて泣きたくなりました。――何というばかな無慈悲な父親でしょう。子供の不機嫌は自分が原因をなしていたのです。子供の正直な心は無心に父親の態度を非難していた・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫