・・・私の記憶に残っているものは、あの不可思議な人外の町。窓にも、軒にも、往来にも、猫の姿がありありと映像していた、あの奇怪な猫町の光景である。私の生きた知覚は、既に十数年を経た今日でさえも、なおその恐ろしい印象を再現して、まざまざとすぐ眼の前に・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・てっきり私は六神丸の原料としてそこで生き胆を取られるんだ。 私はどこからか、その建物へ動力線が引き込まれてはいないかと、上を眺めた。多分死なない程度の電流をかけて置いて、ピクピクしてる生き胆を取るんだろう。でないと出来上った六神丸の効き・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 河豚は生きているのを料理するよりも、死んで一日か二日経ってからの方がおいしい。料理法は釣る方とは関係がちがうから省くが、河豚釣りに行っても、普通の魚のように、釣りあげてすぐ、船の上でサシミにしたり、焼いたり煮たりなどしては食べないので・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・と、吉里は幾たびとなく念を押して西宮をうなずかせ、はアッと深く息を吐いて涙を拭きながら、「兄さんでも来て下さらなきゃア、私ゃ生きちゃアいませんよ」「よろしい、よろしい」と、西宮はうなずきながら、「平田の方は断念ッてくれるね。私もお前さん・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・乃ち云く、自分は既に証明を得たれども、扨帰国の上これを婦人社会の朋友に語るも容易に信ずる者なく、却て自分を目し虚偽を伝うる者なりとして、爾余の報告までも概して信を失うに至る可し、日本の婦人は実に此世に生きて生甲斐なき者なり、気の毒なる者なり・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・我々が斯うして生きてるのは即ち「アンノーン、ハッピネス」じゃないか。ただ気が付かずに迷ってるだけだ。聖人は赤児の如しという言葉が、其に幾らか似た事情で、かねて成り度いと望んでた聖人に弥々成って見れば、やはり子供の心持に還る。これ変ったと云え・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・そういう時はあらゆる物事が身に近く手に取るように思われて己も生きた世界の中の生きた一人と感じたものだ。そういう時はあらゆる人の胸を流れる愛の流が、己の胸にも流れて来て、胸が広うなったような心持がしたものだ。今はそんな心持は夢にもせぬ。この音・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・てこの者は死刑に処せられたばかりでなく、次の世には粟散辺土の日本という島の信州という寒い国の犬と生れ変った、ところが信州は山国で肴などという者はないので、この犬は姨捨山へ往て、山に捨てられたのを喰うて生きて居るというような浅ましい境涯であっ・・・ 正岡子規 「犬」
・・・一つの壁がまだそのままで見附けられ、そこには三人の天童子が描かれ、ことにその一人はまるで生きたようだとみんなが評判しましたそうです。或るよく晴れた日、須利耶さまは都に出られ、童子の師匠を訪ねて色々礼を述べ、また三巻の粗布を贈り、それから半日・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
愛ということばは、いつから人間の社会に発生したものでしょう。愛という言葉をもつようになった時期に、人類はともかく一つの飛躍をとげたと思います。なぜなら、人間のほかの生きものは、愛の感覚によって行動しても、愛という言葉の表象・・・ 宮本百合子 「愛」
出典:青空文庫