・・・こう云う社会では「話を受ける」人物もいなくてはならないのである。 こんな風で何年か立った。 そのうちある時、いつも話の受け手にばかりなっていた、このチルナウエルが忽ち話題になった。多分当人も生涯この事件を唯一の話の種にすることであろ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・取扱っているものが人間の社会で、使っているものが兵隊や金である。いずれも科学的には訳の分らないものであるが、ただ世人の生活に直接なものであるだけに、事柄が誰にも分りやすいように思われる。 これに反してアインシュタインの取扱った対象は抽象・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 諸君、明治に生れた我々は五六十年前の窮屈千万な社会を知らぬ。この小さな日本を六十幾つに劃って、ちょっと隣へ往くにも関所があり、税関があり、人間と人間の間には階級があり格式があり分限があり、法度でしばって、習慣で固めて、いやしくも新しい・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 夜になって、高坂の工場へいって、板の間の隅で、“来り聴け! 社会問題大演説会”などと、赤丸つきのポスターを書いていると、硝子戸のむこうの帳場で、五高生の古藤や、浅川やなどを相手に、高坂がもちまえの、呂音のひびく大声でどなっている。そしてボ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・この社会の人の持っている諸有る迷信と僻見と虚偽と不健康とを一つ残らず遺伝的に譲り受けている。お召の縞柄を論ずるには委しいけれど、電車に乗って新しい都会を一人歩きする事なぞは今だに出来ない。つまり明治の新しい女子教育とは全く無関係な女なのであ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・博士の功績を表彰した学士会院とその表彰をあくまで緊張して報道する事を忘れなかった都下の各新聞は、久しぶりにといわんよりはむしろ初めて、純粋の科学者に対して、政客、軍人、及び実業家に譲らぬ注意を一般社会から要求した。学問のためにも賀すべき事で・・・ 夏目漱石 「学者と名誉」
・・・カントの実践哲学は、近代社会における市民道徳の基礎附けである。私は決してカントの道徳的規範を無視するものではないが、今日の歴史的世界は新なる哲学の出立点と新なる実践原理とを求めるのである。我々はなお一度デカルトの出立点に返って考えて見なけれ・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・それは恰も今の社会組織そっくりじゃないか。ブルジョアの生きるために、プロレタリアの生命の奪われることが必要なのとすっかり同じじゃないか。 だが、私たちは舞台へ登場した。 二 そこは妙な部屋であった。鰮の罐詰の内部の・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・は往々此道を知らず、幼年の時より他人の家に養われて衣食は勿論、学校教育の事に至るまでも、一切万事養家の世話に預り、年漸く長じて家の娘と結婚、養父母は先ず是れにて安心と思いの外、この養子が羽翼既に成りて社会に頭角を顕すと同時に、漸く養家の窮窟・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・寧ろロシアの文学者が取扱う問題、即ち社会現象――これに対しては、東洋豪傑流の肌ではまるで頭に無かったことなんだが――を文学上から観察し、解剖し、予見したりするのが非常に趣味のあることとなったのである。で、面白いということは唯だ趣味の話に止ま・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
出典:青空文庫