・・・ 老いたるカトンは、サルジニア総督時代には、徒歩で巡視をした。お供と云えば唯国の役人を一人つれたきりで、いや最も屡々、自分で行李を持って歩いた。彼は、一エキュ以上する着物を着たことがない、一日に一文以上市場に払ったことがない、と自慢した・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・それでこの際そういう家屋の存在を認容していた総督府当事者の責任を問うて、とがめ立てることもできないことはないかもしれないが、当事者の側から言わせるとまたいろいろ無理のない事情があって、この危険な土角造りの民家を全廃することはそう容易ではない・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・なきは固より明白なるところなれども、榎本氏の挙は所謂武士の意気地すなわち瘠我慢にして、その方寸の中には竊に必敗を期しながらも、武士道の為めに敢て一戦を試みたることなれば、幕臣また諸藩士中の佐幕党は氏を総督としてこれに随従し、すべてその命令に・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・日本語を強制された朝鮮人民の生活の中で、日本語が話せ、日本字のかける朝鮮人が、総督府の官吏になり、巡査になり、収税吏になって、今日になってみれば、同胞の自由を抑え搾る仕事に協力していた。しかし当時、朝鮮で権力をもっていた日本官吏や事業家は、・・・ 宮本百合子 「それらの国々でも」
・・・インドの衛生状態にも彼女の関心が向けられ、長年の間、新任印度総督はその出発前にナイチンゲールを訪ねるのが習慣であった。 このインドの衛生問題について、私たちに多くのことを教える一插話がつたえられている。それは、インドにおける彼女の影・・・ 宮本百合子 「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」
出典:青空文庫